日本航空 小林 貴之

人や組織を動かす企業法務の醍醐味

日本航空(JAL)グループ全社の訴訟など法的問題の統括をする小林貴之さん。
新生JALでは新たな企業法務の形に積極的に取り組んでいる。

Takayuki-Kobayashi_01.jpg
Takayuki Kobayashi 法務部長
1982年法学科卒業。同年戸田建設に入社。同社在籍中の1988年、英国ケンブリッジ大学大学院法学修士修了。1991年、日本航空に転職。2009年、法務部長に就任。条約会議の政府代表団顧問も務め、国際航空運送条約の成立に貢献した。

大学卒業後に就職した建設会社では本社開発営業室に所属し、大型のビル建設のための交渉で手腕を発揮した小林貴之さん。その後に担当した海外建設工事プロジェクトの交渉相手だった航空会社の法務担当者の仕事ぶりを見て、彼らの進め方に興味をもった。
「彼らは会社の上司に許可をもらうことなく、その場でどんどん物事を決める。役割の大きさと決断の早さは、かなり新鮮でした」
その経験から日本航空への転職を決意し、1991年に入社した。最初は成田空港のチェックインカウンターの仕事からスタートし、一通りの空港業務を経験したという。
1年後には出発デスクを任されるまでになった。その後、小林さん本人の意思で法務部へ異動するが、約2年間の現場経験なくしては法務の仕事は成り立たないという。
「企業法務に課せられた任務の一つに、クレームの種や企業の不利益になることを未然に防ぐことがあります。そのためにあらゆる業務内容を把握しなければなりません。例えば機内でお出しするコーヒーの場合、お客さまがやけどをせず、それでいておいしいと感じられる温度を検討するのです」
もちろん、外国航空会社との共同運航便契約など、航空会社の法務ならではの仕事もある。国によって異なる法制度や文化の違いを超えてお互いに合意できる契約上の仕組みを作り上げることに、大いにやりがいを感じた。
2010年にJALが経営破綻すると、法務部でも人員削減が断行された。実務の多くを法律事務所にアウトソーシング(業務委託)せざるを得なくなったが、小林さんはむしろ前向きな姿勢を見せている。
「かつての企業法務は〝社内にいる弁護士〞という位置づけでしたが、今は社内外の利害関係者の要望をまとめ上げるプロジェクトマネジャー的能力が求められます。社内全組織とかかわるのが法務部。そのなかでプロマネとして自分が先導して、人や組織を動かしていくことに醍醐味を感じています」

Takayuki-Kobayashi_02.jpg
現在、法務部員は13名。部内においては部員たちのモチベーション向上を重視している。ホワイトボード前の女性部員も学習院大学法学部卒。JALには学習院OBによる「翼友会」という同窓会組織もあり、小林さんは世話役を務めている
Takayuki-Kobayashi_03.jpg
毎週土曜日、慶応大学大学院で航空法の授業を行う。テキストは小林さんの自作だ。国際航空運送条約締結にもかかわった経験を活かした講義を心がけている

法律の専門科目だけでなく教養科目からも多く学んだ

学生時代には司法試験も受けたが、それほど法曹志向は強くなく、結局建設会社を選んだ。それも法務部ではなく、会社の花形である営業マン。当時から「いわゆる弁護士の真似事には興味がなかった」と言う。
高校時代は哲学志望。哲学への未練を残しつつ、法学部は一生食いはぐれることがないという先輩の言葉と、目白キャンパスの雰囲気に惹かれて、学習院法学部に進学した。
「大いに悩んで進学したものの、法学部最初の授業で『正義とは』や『公平とは何か』という哲学的なテーマに触れ、法学が一気に面白くなりました。法律だけでなく、物理や心理学、西洋美術史など、大学時代に学んだ教養科目が、その後の人生を豊かにしてくれています」
大学時代に所属したゼミで築いたコネクションは、今の仕事でダイレクトに役立っていることの一つだ。
「学習院は先生方のレベルが高く、大規模な大学にはない、きめ細かな教育と支援が受けられます。目白の美しいキャンパスで、多くの人に出会い、自分自身の将来像をじっくり見極めてください」

Column

昭和寮名物ふんどし姿の学生たち

Takayuki-Kobayashi_04.jpg

小林さんは学生時代の2年間を、今はなき昭和寮で過ごした。当時、寮費は2食付きで月1万円以下だった。全身を黒く塗ったふんどし姿の寮生たちが、昭和寮から目白の商店街を抜けて大学の学生食堂前まで神輿を担いで練り歩くイベントは、学習院名物だった。