朝日新聞大阪本社 西村 悠輔

向かい合って話す大切さを学ぶ

仲間と議論を交わし、フィールドワークをした大学時代。
ゼミや授業を通じて話す力、伝える力、書く力を蓄えた。そのときの経験が今、朝日新聞の記者として、編集者としての仕事に、大いに役立っている。

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Yusuke Nishimura 編集センター記者
2002年政治学科卒業。同年朝日新聞社入社。愛知・豊橋支局に2年、山梨・甲府総局に3年勤務し、記者として事件や事故、地方行政などを取材。2007年5月、大阪本社編集センターに異動。紙面の見出しやレイアウトを決める編集者として活躍している。

2013年1月、新築された中之島フェスティバルタワーに移転した朝日新聞大阪本社。広い編集センターのフロアで働く西村悠輔さんは、スポーツ面などのニュースを選別し、見出しやレイアウトを決める編集の仕事をしている。
「入社後5年間は、記者として地方で現場取材を担当していました。書く仕事が好きなので、編集センターへの異動は当初少しショックでしたが、見出しの大切さや編集の面白さがわかり始めてきました。全国のニュースを扱うダイナミックな紙面作りができるので、良かったと思っています」
記者時代は事件や事故を追って警察回りを担当し、高校野球や行政、選挙の取材も経験。「虐待の周辺で」という署名入りの連載を担当した際は、緻密な取材を重ねた。
「現場を見ることの大切さを学びました。人に話を聞くためには、一対一で向かい合って話をしていただける人間にならないといけない。人と会う前の準備など、大学時代の経験が役に立ったと思います」
高校時代は世界史、なかでも現代史が好きだったと西村さんはいう。
「色んな国がからんでいて、ニュースと同じ動きがあり、関心を持ち始めました。では学問として勉強できるところはどこだろう? と大学を探したのです」
学習院大学を選ぶ決め手になったのは、「国とは何か、ナショナリズムとは何か」を研究できる政治学科があること、そして静かで落ち着いた緑の多い環境だったことだ。入学後は1年目から少人数のゼミ形式で学べる基礎演習が印象的で、少人数での議論は刺激的だったと振り返る。
他大学の先生たちの授業もあり、中東史や台湾史などの地域研究があったり、「戦争体験を近しい人に聞きなさい」という論文の課題が出たりした。こうした授業を通じて、「歴史を知ることはまさに今を知ることにつながる」ことを実感したという。

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西村さんが編集で使うレイアウト用紙と道具。赤の色鉛筆は必需品。ニュースの重要性にあわせて、見出しや写真の大きさを決め、手で書いていく
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井上ゼミが20周年を迎えた2010年は、西村さんが新聞に見立てた「記念号外」を作成し、OB会の出席者にサプライズで配布した

カメラ撮影や取材活動が今の仕事に活きる

2年生になってからは、父親にもらったフィルム一眼レフカメラを手に、写真部で課外活動も始めた。ゼミは、井上寿一教授の日本政治外交史を選択。北朝鮮や安全保障の問題をテーマに、論議を交わした。
「井上先生のゼミでは、憲法改正の議論を行ったり、北朝鮮の拉致問題を扱ったりしました。どれも今大きな問題になっているテーマばかりで、先駆的だったと思います」という。ゼミでの議論を通じて、話す力、伝える力、書く力が自然と培われたそうだ。
沖縄の基地問題をテーマに、グループで3泊4日のフィールドワークも敢行した。沖縄県元知事、県庁職員、沖縄の経済振興に詳しい地元の大学教授や新聞記者らにアポイントを入れ、さまざまな角度から取材した。さらに、南部の戦跡を見て回ったほか、普天間基地、辺野古の海にも足を運んだ。この体験はまさに記者の仕事と同じで、結果的に今の仕事につながり、役立っているという。
「良い先生に出会えたのは、本当に幸せだったと思います。毎年ゼミのOB会が東京であるので、なるべく参加するようにしています。OBの層が厚く、さまざまな職種で活躍する先輩や後輩に出会えるのは、大変貴重な機会です。いい学問はいい仕事に直結できるといえますね」

Column

4年生で1カ月間インドを旅して卒業展

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2年生で写真部に入部、よく暗室にこもってフィルム一眼レフカメラで撮影したモノクロ写真の焼きつけ作業に没頭した。この写真は同級生たちと新宿のギャラリーで卒業展を開いた時のもの。2001年、4年生の時に1カ月間旅したインドでの写真を発表した。