宇宙航空研究開発機構(JAXA) 徳川 直子

超音速実験機と格闘の日々

物理学のなかでも流体力学に興味をもち、宇宙航空研究開発機構(JAXA)に就職した徳川直子さん。
現在は、次世代超音速旅客機の研究開発に取り組んでいる。

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Naoko Tokugawa 航空プログラムグループ 超音速機チーム 主任研究員
1967年生まれ。1990年、学習院大学理学部物理学科卒業。1995年東京農工大学大学院博士後期(博士)課程修了。東京大学大学院研究生、科学技術振興事業団科学技術特別研究員(派遣先航空宇宙技術研究所〈現JAXA〉)を経て1997年航空宇宙技術研究所に入所。2009年から現職。

小型超音速実験機『NEXST-1』が無事に飛んだ日は、これまでの人生で一番幸せな日の一つです! 研究所の人もメーカーの人も一緒になって、抱き合って喜び合いました」
日本の航空宇宙開発を担う宇宙航空研究開発機構(JAXA) 航空プログラムグループ超音速機チームで主任研究員を務める徳川直子さんは、こう振り返る。
NEXST-1は、JAXAが開発した次世代超音速旅客機の実験機で、東京-パリ間を6時間で結ぶマッハ2の飛行を想定して設計された。徳川さんの担当は、摩擦抵抗を低減する設計を検証するための計測だ。実験機に搭載されるセンサーやアンプの性能を検証する風洞実験もした。
小型超音速実験機のチームに入って4年目の2002年の7月、第1回目の飛行実験が行われた。だが、結果は失敗。ロケットで上空に打ち上げられてから切り離されるはずだった実験機が、打ち上げ直後に切り離されて大破した。「その年は、次の年
の年賀状を書く気分にもならないほど、落ち込みました」。
徹底的に原因を究明するとともに、設計を色々と練り直して再度計画を立てた。しかし、一度失敗したプロジェクトの信頼性はやすやすと認めてもらえない。結局、再挑戦の機会を得るまで3年待たなければならなかった。
そして、2005年10月、第2回目としてオーストラリア・ウーメラ実験場で打ち上げられたNEXST-1が、マッハ2の飛行実験を終えて無事帰還した。「パラシュートが開いてNEXST-1が無事着陸した瞬間の喜びを、昨日のことのように鮮明に覚えています」。徳川さんは、今でも楽しそうに語る。

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東京・調布市にあるJAXA調布航空宇宙センター展示室で、超音速小型実験機の模型とともに。この模型の実物(右ページ)が、オーストラリアの実験場でマッハ2で実際に飛行した
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オーストラリア・ウーメラの実験場で、小型超音速実験機の前に立つ徳川さん(提供:JAXA)

学習院の学生時代は、本格的に歌舞伎に傾倒

徳川さんは小さな頃から水滴に興味津々だった。「プールで水をパシャパシャやると、水滴がビヨーンと形を変えながら飛び散ったりするのを『面白い』と思ってずっと見続けているような子どもでした」。
その面白さを母親に話した時、「それは、流体力学っていうのよ」と教えられ「物理学科に行ったらどう」と勧められたという。実は母親も学習院の物理学科の卒業生だ。
学生歌舞伎サークルに所属しキャンパス生活を楽しんでいた3年生後期、衝撃的な講義と出合った。それは、米国での研究生活を終えて帰ってきたばかりの田崎晴明教授による、「熱学および統計力学」という理論物理学の講義だった。高校までの物理では説明できない自然現象を表現する、その「非線形力学」に魅せられた徳川さんは、当然のように田崎教授のいる理論研究室に入った。
卒業研究のテーマは非線形力学の方程式をコンピュータで解析することを選んだ。「研究室での教えのなかで特に印象深かったのが、自分の理解を進める時、人に尋ねる時、人に教える時、とにかく書いてみなさいということでした」。書いてみればモヤモヤしていた部分、抜け落ちていた部分がクリアになる。また人にきちんと説明するときは絶対に必要なスキルだ。
徳川さんは東京農工大学大学院の博士前期(修士)・後期(博士)課程、東京大学大学院研究生を経て、JAXAで研究生活を続けているが、事を進めるには論文を書き、企画書を書き、申請書を書くことが必要で、「学習院大学で学んだ『とにかく書いてみなさい』という訓練が社会人になって役立っています」と言う。
徳川さんは現在、学習院大学および青山学院大学の6人の学生の卒業研究・修士論文の指導も受け持っている。そこでも「とにかく書いてみなさい」と教えている。

Column

歌舞伎に傾倒し舞台にも立つ

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学生時代は、大学の歌舞伎サークルに所属、本格的な歌舞伎公演の舞台に立った。写真は、豊島公会堂で行った「伊勢音頭恋寝刀」の油屋お鹿の姿。