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題字 島田喬平(学習院中・高等科~学習院大学卒業生)

「Breakthroughs 挑戦する研究者たち」では、研究の最前線で現状を打ち破る挑戦を続ける研究者たちを紹介します。

普通の人の日常的な心の
動きを解明する

Department of Psychology,Faculty of Letters
Prof. MIDORI TOYAMA

文学部 心理学科外山みどり 教授
July 2 , 2018

 2018年3月、学習院大学に嬉しいニュースが届いた。世界最高峰の科学専門誌Natureの関連会社が出す大学・研究機関のランキング(Nature Index 2018 Japan)で学習院大学は国内1位になったのだ。ちなみに2位は東京大学だ。
 この指数は大学などの規模で補正をかけており、研究者の人数が少ない小規模大学でも、それに応じた数の優れた論文を発表していれば上位にランクされることになる。最も効率的に優れた論文を発表する大学・研究機関を示すランキングと言い換えてもよい。
 Nature Indexは自然科学系を対象にしているが、学習院大学は人文科学系でも学術界に大いに貢献している。とくに文学部心理学科は、これまでに多くの人材を輩出してきた。

 同学科の外山みどり教授は学習院大学で学んだ心理学者の名前を次々に挙げ始めた。「京都大学教授の楠見孝先生、福島大学教授の飛田操先生、法政大学教授の越智啓太先生......」。
 優れた人材を送り出すことができたのには、もちろん理由がある。学習院の高等科から京都大学に進学し、京都大学での助手(現在の助教)などを経て学習院大学に赴任し、学部長、学長を務めた永田良昭先生をはじめ、優れた心理学者が学習院で教鞭を執ってきたことが、その理由の1つであることは間違いない。
 だが、それだけではない。伝統ある私立大学ではよくあることだが、OB/OGは同窓生に対する親近感が強く、大学の規模の小ささは、むしろそれを強める効果がある。外山教授は「学習院の心理学科では先輩後輩の結びつきが強く、研究面でも共同研究などを通して、若手が力をつけていくきっかけになった」と指摘する。
 さらにもう1つ、人脈を広げやすい仕掛けが学習院大学にはあった。
 今は行われなくなってしまったが、かつては月1回のペースで、実験社会心理学の研究会が学習院大学で開かれていたという。都内の大学の研究者、大学院生を中心に毎回30人ほどが集まり、和やかな雰囲気で各自の研究を発表したり、意見交換をしたりしていたという。「学習院が社会心理学研究の拠点の1つになっていた」と外山教授は語る。
 OB/OGを通した縦のつながりと、研究会での他大学との横のつながりの両方で、人脈づくりが上手くでき、それがまた次のネットワーク形成を呼んでと、良い循環ができていたのだ。

哲学や脳科学との違いは?

 では「心理学」とはどういう学問なのか? 一言で言えば、人間の心の動きにかかわるすべてを扱う学問だ。ただ、これだけでは哲学との違いは曖昧だ。「なぜ、絵画に感動するのか」「どういうときに幸福だと感じるのか」。これらは心理学にも哲学にもなり得るテーマだ。外山教授は「心理学ならば、実験をしますね」と話す。「たとえば、絵の細かい表現や色遣いを変化させて印象が変わるかとか、美術館で見た場合と画集で見た場合で違うかとか、感動の原因がどこにあるかを実証的に探ろうとするでしょう」。感動は実際にあったものだが、それを引き起こしたのは絵画単体ではなく美術館という非日常空間とセットになったものだったのかもしれない。あるいは、見たときの本人の状態(悲しい、嬉しいなど)が影響しているのかもしれない。心理学では実験を通して「どういう場合に絵画に感動するのか」に迫っていく。一方の哲学では、通常はこういう実験は行わず、思索によって課題に迫る。
 もうひとつ、心理学と見分けがつきにくい分野に脳科学がある。実験だけでなく、画像診断などを通して、心の物質的な実体である脳の動きを解明していく。ときには細胞レベル、タンパク質などの分子のレベルを扱う。一方、「心理学は心を直接解剖しようとするのではなく、ブラックスボックスとして扱い、その中身を間接的に推測しようとします」と外山教授は言う。そして、関心の中心にあるのは脳ではなく、あくまでも人だ。

普通の人の日常を扱う社会心理学

 心理学と聞いて、一般の方がまず思い浮かべるのは心理カウンセラーだろう。学校で何かあったときに児童・生徒の心のケアを担ったり、何らかの理由で生きづらさを感じている人の話に耳を傾けたりする。これは心理学のなかでも臨床心理学という分野だ。外山教授はこの分野を「やわらかい心理学」と呼ぶ。ある人に起きている"症状"を読み解き、その人が日常を穏やかに暮らせる状態に戻れるように尽力する。外山教授は「解釈学に近いので、文系の先生方からも受け入れられやすい」と話す。
 一方で、「かたい心理学」もある。目や耳などから入る物理的な刺激の知覚や学習の過程などを実験を通して扱い、動物を使う実験を行うこともある。エビデンスド・ベースド(証拠に基づいた)心理学ということができ、こちらは理系の分野と相性が良い。

 外山教授が専門とする社会心理学は「やわらかい心理学」と「かたい心理学」のちょうど中間あたりに位置し、どちらからも外れたものを一手に引き受けたという。「社会心理学は包容力があるというか、寛容というか、『これは社会心理学のテーマではない』と排除するようなことはあまりしなかった」。このため、個人レベルの心理を含めたさまざまな事柄が社会心理学として研究されてきた。
 医学の世界に置き換えると、臨床心理学は医療現場によく似ている。つらい状態にある人をそうでない状態にすることが最優先にすべき目的となる。日常の医療現場で最も重要なのは患者の症状を治すことで、快方に向かっているときには、その原因の探求は二の次になる。臨床心理学も、心の動きの法則性をさぐる努力はなされているが、目の前にクライアントがいれば、その個別の問題を重視する。
 一方で、基礎医学では実験動物を使いながら、どういうメカニズムで病気が生じ、それを治すための治療法が設計される。患者ごとの個別の問題よりは、普遍的な法則をさぐる。「かたい心理学」はこの考えに近い。

 医学との対比でいうと、社会心理学はごく普通の人の日常のあらゆることを対象にするという。とくに問題を抱えてはいないという点で、臨床心理学のような「やわらかい心理学」とは少し異なる。また厳密な実験が困難だという点で「かたい心理学」とも異なる。
 厳密な実験とは、どういうものか? たとえば記憶の実験で「リンゴなどといった意味のある文字列を使うと、参加者にリンゴに特別の思い出のある人がいたりしたら、結果に差が出てしまう」と外山教授は説明する。これを避けるために、従来かたい心理学ではまったく意味のない文字列を使って記憶実験を行ってきた。しかし、社会心理学では無意味な文字列ではなく、意味のある言葉を使う。あくまでも、日常的な場面で普通の人に生じていることを対象にするからだ。実験の厳密さはいくぶん損なわれるが、意味や価値を含むものを扱うという点では重要である。

無理に説明をすることの弊害

 人間は社会的な生き物とよく言われる。一緒にいる人に良いところを見せたくて見栄を張ることもあれば、まわりに知人はいなくても人目を気にすることもある。「社会心理学での"社会"とは何か、とよく聞かれるのですが、さっきもお話ししたとおり、この分野はわりと寛容で、さまざまなレベルの"社会"を扱います」と外山教授は話す。「"社会"は、不特定多数の人であることもあれば、重要な他者であることもあります。さらには、一人でじっと考えている時でさえ、頭の中にはいろいろな人や社会的事物が浮かんできます。そのため、個人の心理も社会心理学の対象になるのです」。
 外山教授のテーマの一つは「説明」だ。他人から求められて説明する場合もあれば、自分から説明した方が良いと考えて説明を始める場合もある。他人ではなく自分に対して説明を行うこともある。どの場合でも、どうすれば納得が得られるかを考える──ときには無意識のうちに。このとき、説明は必ずしも真実の原因や理由にそったものにはならない場合がある。
 「たとえばカップルの一方に『あの人のどこが好きなの?』と聞いたとします」と外山教授は説明を始める。「本人にも必ずしも明確にわかっていない、そもそもあまり考えたことがなかったりすることもあります」。好きなのは間違いないけれど、その理由を自分でもとくに言語化してこなかったという場合だ。聞かれて、なぜなのだろうと改めて自問自答する。そのとき、「無理に言語化しようとすると、そのために抜け落ちるものもあれば、ときには本当は『それ』ではないものを選んでしまうこともある」。
 さらには「もっともらしい理由」があれば、本人も自覚のないまま、それを自分の行動を説明する理由にしてしまいやすいという。外山教授と当時学習院大学の助教だった山田歩氏は、2010年の心理学研究という日本心理学会の機関誌に、「もっともらしい理由による選択の促進」と題した興味深い論文を発表している。日本心理学会からこの年度の優秀論文賞を贈られた論文だ。その内容を簡単に紹介しよう。

 人間は画像や音楽などを繰り返し見聞きすると、視覚刺激・聴覚刺激として慣れ親しんだその対象を好ましく思うようになることが知られており「単純接触効果」と呼ばれている。テレビCMなどはまさにこの効果を利用したものといえるだろう。実際に、実験の場でさまざまな対象物の画像などを視覚刺激として何回か見せた上で、実験参加者に好きな視覚刺激を選んでもらうと、高頻度で見せられた刺激が選ばれる傾向がある。一方で、その対象を以前見せたことがあると伝えると、高頻度で見せられた対象が選ばれる割合が減ることも知られている。単純接触効果そのものは、良い・悪いを超えた人間の基本的な心理傾向だが、それに気づくとその影響からの修正を試みるわけだ。では、影響源が複数あるように見えるときはどうだろう?

 日用品のパッケージでは商品ロゴだけでなく売り文句が書かれていることがある。洗剤であれば「トリプル酵素で一段上の洗浄力」とか「繊維の奥から汚れとニオイを落とす」といった具合だ。外山教授らは、実際には単純接触効果によって好ましく思うようになった場合でも、こうした「もっともらしい理由」があると、それが理由で選んだと自分の選好理由を取り違えて正当化し、単純接触効果がさらに強まるのではないかと考え、それを実験で検証した。
 実験では20種類の架空の洗剤パッケージを用意し、最初のステップでは、パソコンの画面上で洗剤のロゴだけを実験参加者に見てもらう。20種類の洗剤ロゴは10個ずつの2セットになっていて、一方のセットは高頻度、もう一方のセットは低頻度で見せるようになっている。次のステップでは、洗剤のパッケージを2つずつ参加者に手渡しして、どちらが良いかを選んでもらう。このとき、高頻度セットと低頻度セットから1つずつをペアにして渡していき、全部で10ペアから一方を選んでもらう。さらにこのステップでは、半分の参加者にはロゴだけのパッケージ、もう半分にはロゴに加えて売り文句も書かれたパッケージを渡す。そして最後のステップでは、ロゴと売り文句のそれぞれを「非常によい」から「全くよくない」までの7段階で評価してもらう。
 外山教授らの予想が正しければ、参加者は高頻度セットの洗剤を選ぶ傾向がもともとあるが、売り文句という「もっともらしい理由」が加われば、その傾向はより強まるはずだ。実験の結果はまさにその通りになった。さらに面白いことに、売り文句の有無によってロゴそのものへの評価も影響を受け、売り文句が追加された場合の方が、高頻度接触のロゴを低頻度接触のロゴよりも高く評価する傾向が顕著になった(予備実験を通して、20種類のロゴのデザインと売り文句は、評価に大きな差がないようなものが選ばれている)。
 外山教授らは売り文句の有無によってロゴの評価が変わったことを、参加者がロゴのデザインではなく商品の性能で選ぶ"賢い消費者"としてふるまおうと無自覚に調整をした結果と解釈している(この論文はインターネット上で公開されているので、興味を持った方はぜひ読んでみていただきたい)。
 ほとんどの場合、人間は自分の行動にいちいち理由をつけてはいない。けれども改めて考える機会に出くわすと、言語化しやすく、本人もまわりも納得できるような「もっともらしい理由」をしばしばつけてしまう。そして、その理由は、必ずしも本当の理由ではない場合もあるのだ。
 こうした知見を背景に、外山教授は自己分析を求める風潮に懸念を示す。「最近の就職活動などでは、自分がどういう人間なのかを知った上で、それをアピールするように求められる」。でも、そうやって分析した「私は〇〇な(几帳面な、内向的な等々)人間」という言葉に、本人が縛られてしまうことを外山教授は案じている。たとえば、大勢の人が集まる場に出るのは苦手、と自己分析したとしよう。こうなると、人前に出る機会があったときに「私はそういうのが苦手だからと、避けてしまったりする。本当は、やってみれば案外、上手かも知れないし、本人も楽しいかも知れない。でも、私はそういうのは苦手だからと避けていると、その修正もできなくなってしまう」。

 外山教授が2017年に発表した論文「『説明』の心理的機能を巡る諸問題」(対人社会心理学研究 No. 17, March 2017)で、「説明の弊害」と呼んだのは、まさにこうしたことだ。「とくに考えていなかったのに、説明を求められていろいろ考えて、説明をつけてしまうと、今度はその説明で自分を枠にはめてしまったりすることがあるのです」。
 こうした、避けてしまうがために修正しにくくなる例は「迷信」として社会レベルでも起きる。入籍や挙式の日取りが大安だろうが仏滅だろうが、二人の幸せに影響はしないはずだが、やはり仏滅は避ける風潮がある。こうなると、仏滅に関する迷信はいつまでたっても残ってしまう。さらに迷信そのものが、起きてしまったことへの「行き過ぎた説明」として生じるとしている。

そもそも合理的ではない人間の行動

 「説明」には私たちを安心させる働きがある。とくに何かよくないことが起こると不安になり、それが起きた原因や理由などを知りたいと感じる。ほとんどの出来事が起きる際には、当事者の能力や行動の適切さといった要因のほかに、他者の影響や天気などのような外的な要因も関わってくる。そして、後者は偶然による場合も多い。
 ところが、偶然による、つまりは運によるというのは、なかなか受け入れにくいのだという。外山教授は「努力不足であれば、練習を繰り返して次はがんばろうとなれる。けれども全部が運だったとなると、それは制御不能だから、自分の力で変えることができない」と説明する。 
 たとえば、宝くじ。銀座のある宝くじ売り場では特定の窓口が人気で、そこには長い待ち列ができる。隣の窓口ではすぐに購入できるにもかかわらず、人気の窓口の列に並ぶ人が絶えないのだ。「もちろん、宝くじの当たる・当たらないはまったくの運で決まり、そのことは列に並んでいる人たちも皆さん、わかっている。でも、運は自分でコントロールできないけれども、列に並ぶ・並ばないは、自分で決めることができます」。
 合理的な行動は、空いている隣の窓口でさっさと目的の宝くじを買い、列に並ばずにすんだ時間はほかに使うことだ。けれども、人間はつねに合理的な判断をするとは限らない。こうした非合理的な行動をとるのは、珍しいことではない。
 外山教授は興味深い例として、手にした宝くじの価値をめぐる心理実験の話を教えてくれた。例えば、100本のくじが入った箱の中で1本だけ当たりがあると知らされた状態で、参加者に自分でくじを引いてもらう。その後、まだ抽選が行われないうちに、そのくじを買いたい人がいると伝え、いくらだったらその人にくじを売るかを決めてもらう。他方、参加者が自らくじを選ぶのではなく、実験者から一方的に割り当てられた場合でも、同様に手にしたくじに値段をつけてもらう。このような実験をすると、当選確率はどちらも1/100で同じであるにもかかわらず、自ら選んだ場合の方が値段をずっと高く設定する傾向があるという。「自分で選ぶ」ことに、人間は付加価値をつけてしまうのだ。

心理学はいらなくなる?

 近年、こうした"非合理的な行動や判断"が経済学で注目されている。「行動経済学」と呼ばれる分野で、2017年のノーベル経済学賞はまさにこの分野の研究者が受賞した。従来の古典的な経済学では、人々は規範などに従って常に合理的な判断のもとで行動することを前提に、金融市場などの動きを予想しようとしていた。けれども、社会心理学の知見からすると、人間がしばしば非合理的な判断や行動をすることは自明だった。
 行動経済学は、こうした心理学の観点を組み込んだ点に学問としての大きな特徴がある。源流をたどれば古くからあるが、盛んになったのは1990年代に入ってからで、とくに短期的な市場の動きを説明するのに威力を発揮し、2002 年、2013年、2017年にノーベル経済学賞の対象になった。その真価が認められたということだろう。「でも、"今、気がついたの?"という感じがします」と外山教授はいう。
 このように心理学の知見がほかの分野に活用され始める一方で、「脳科学が進めば、心理学はいらなくなるかもしれない」と、数十年も前からいわれてきたそうだ。近年の脳科学の進展は速く、とくに細胞レベルで脳の動きをリアルタイム観察できる技術が登場してからのこの10年ほどは、目覚ましいものがある。従来は心理学がおもな担い手になっていた自閉症などのような「発達障害の理解は、脳科学の発展で大きく変わるだろう」と外山教授はいう。ほかにも過酷な体験の記憶に苦しむPTSD(心的外傷後ストレス障害)の治療薬の開発などもおそらく脳科学の進展から可能になるだろう。だが、ごく普通の人の日常的な場面を扱う社会心理学はどうだろう。
 例えば、今をときめくAI(人工知能)は、いずれは画像診断や血液検査のデータからどのような治療法がふさわしいかを判断できるようになると期待されている。だが、今のAIはその成り立ちからして、自分の判断を「説明」することができないとされる。AIに説明もなしに治療法を選ばれて、人はそれを受け入れることができるだろうか? 「説明できるAI」の開発も進められているが、どこまでをどのように説明されれば、人は納得できるだろうか? 
 これはおそらく説明を受ける人間の側の問題、つまり社会心理学のテーマになるだろう。AIという新しい技術の登場に、漠然とした不安を抱く人は多い。説明もせずに判断を下されたら、その不安は増すかもしれない。AI技術者が「説明できるAI」に挑戦する一方で、人間の側へのアプローチも必ずや必要となるだろう。
 すでに引用した2017年の論文「『説明』の心理的機能を巡る諸問題」で、外山教授は「説明については、さまざまな方向から研究がされてきたにもかかわらず、相互の連携が十分ではなく、異なった視点を統合する試みが乏しい」と指摘している。社会心理学のなかでもその状態であるのだとしたら、行動経済学の例を振り返るまでもなく、経済学や歴史学、倫理学といったほかの社会科学・人文科学系との連携も改善の余地はありそうだ。AIのような新しい技術が社会に入り込んでくるときに生じる葛藤などは、技術者だけで解決できる問題ではない。社会心理学が貢献できる分野はまだまだ無数にある。

参考文献
外山みどり「『説明』の心理的機能を巡る諸問題」、対人社会心理学研究 第 17号,2017年3月
山田歩・外山みどり「もっともらしい理由による選択の促進」、心理学研究、第81巻、第5号、pp.492-500、2010年、
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjpsy/81/5/81_5_492/_pdf

(科学ライター・詫摩 雅子)

Profile

外山 みどりMIDORI TOYAMA

1979年に東京大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得退学。青山学院女子短期大学の助教授、大阪大学大学院人間科学研究科教授などを経て2001年より学習院大学文学部教授。日本社会心理学会理事、常任理事などを歴任。編著に『社会心理学 過去から未来へ』(北大路書房、2015年)など。

詫摩 雅子
(聞き手・ライター)MASAKO TAKUMA

初等科より学習院に入り、女子部に学ぶ。生物学科に進むため、他大学に入学。修士課程を修了後、1990 年に日本経済新聞社に入社。科学技術部記者、科学雑誌「日経サイエンス」の記者・編集者を経て、2011年に日本科学未来館に。日経サイエンスに掲載したSTAP細胞に関する一連の記事に対し、2015年の医学ジャーナリスト協会大賞を共著者の古田彩氏(日経サイエンス)と共同受賞。