木村屋總本店 木村 光伯

「現代」へ挑戦を続ける老舗企業の7代目

28歳にして、明治時代から続く老舗の会社で、7代目の社長に就任した木村光伯さん。
伝統の味を現代の嗜好にいかに合わせていくか。社長としての挑戦が続く。
Mitsunori-Kimura_01.jpg
Mitsunori Kimura 代表取締役社長
2001年、経営学科卒業。家業である木村屋總本店に入社する。02年に日本パン学校で、翌年にはアメリカに留学してパン作りを本格的に学ぶ。05年に取締役、06年に常務取締役に就任。同年、7代目社長となる。

明治時代から143年続く由緒ある老舗企業、木村屋總本店の7代目社長となったのは、
28歳の時だった。先代である父親が体調を崩し、前例のない20代での社長就任が急きょ決まった。しかし、それを大きなプレッシャーだと感じなかった。覚えなければならないことが多すぎて、感じる暇さえなかったからだと木村光伯さんは話す。
「社長業についてよく知らなかったので、怖がらずにすんだということもあったと思います(笑)」
学生時代から木村屋總本店のパン工場でアルバイトをし、入社後は、製造現場、製品開発、百貨店内店舗での販売の仕事に従事した。さらに、日本と米国のパン学校でパン作りの基礎も学んだ。
数々の現場経験を積み、パン作りのノウハウを身に付けたうえでの社長就任。創業家の出身とはいえ、温室育ちでもなければ、労せずして社長の座についているわけでもない。社員がこの若き経営者に大きな信頼を寄せているのも、木村さんがパン作りの現場を熟知し、社員と同じ視線で働くことのできる苦労人であることを知っているからだ。
社長就任以来、伝統を今の時代に合わせることに心を砕いてきた。
「創業時とは、食生活や環境が大きく変わっています。昔ながらの製法を守りながら、現代のお客さまの嗜好にあった商品をご提供する方法を考える。そこに社長としての私の挑戦があると思っています」

Mitsunori-Kimura_02.jpg
学生時代はパン工場でアルバイトをし、入社後も製造部門で働いた。現場を知っていることが何よりの強みだ
Mitsunori-Kimura_03.jpg
社長室には経済や歴史に関する本が並ぶ。伝統を受け継ぎながら、新しい時代に合った製品を作り続けることが社長としての使命だと話す

学習院の魅力は「人の縁」を作れること

父、叔父、叔母ともに学習院の卒業生。自身、初等科から学習院に通った。経済学部のゼミで学んだ製品開発やマーケティングの知識が、現在にも生きているという。
「5人くらいのグループでレポートを作って発表したり、他大学の学生と討論したりして身に付けた知識が、現在の会社経営に確実に役立っていると実感しています」
卒業して今年で11年。学習院の最大の魅力は、「人の縁」にあるとあらためて感じている。
「社長に就任した時に、学習院の大先輩であるアサヒビール名誉顧問の中條高徳さんにアドバイスをいただきに行きました。中條さんは、こうおっしゃいました。『お天道様は見て
ござるだよ、木村君』――。自分が正しいことを信念をもってやっていけば、必ず誰かが評価してくれる。そういう意味だと私はとらえ、その言葉を肝に銘じました」
人生の岐路に立ったときに、大切なアドバイスをくれる人がいる。壁にぶつかった時に、そっと手をさしのべてくれる人がいる。それが、学習院卒業生のネットワークの素晴らしさだと木村さんは言う。
現在は、「学習院若手経営者の会」を組織し、同世代の経営者たちと折に触れて会合を催している。
「仲間を見つけ、仲間と支え合い、仲間に感謝する。その大切さを私は学習院で教えてもらったような気がしています」
伝統を守りながら、常に革新的であること。そんな難題に、木村さんは社長として今後も挑み続ける。「人の縁」が、これからの彼を支えてくれるに違いない。


Column

菓子パンの定番の生みの親

Mitsunori-Kimura_04.jpg

木村屋總本店の創業者である木村安兵衛が、日本で初めてあんパンを世に出したのは明治7(1874)年のこと。すぐに銀座の名物となり、現在では菓子パンの定番中の定番となっている。木村屋總本店のあんパンの製造法は、発売当時からほとんど変わっていない。