俳優 千野 裕子

「研究」と「芸能」の世界を行き来する

プロの俳優・劇団員として活躍する千野裕子さん。
日本語日本文学科を卒業した後、学習院大学大学院に進学。博士号取得を目指して、古典文学の研究に取り組んでいる。

Yuko-Chino_01.jpgYuko Chino 俳優
1987年、東京都生まれ。中学から学習院に通う。中学・高校では演劇部に所属。2009年に文学部日本語日本文学科卒業後、大学院人文科学研究科に進学。11年に博士前期課程を修了。現在は博士後期課程に在籍し、平安時代を中心とした王朝物語文学を研究している。

千野裕子さんは、映画やテレビに出演するプロの俳優で、劇団での脚本執筆・演出・出演もし、かつ大学院生と、「三足のわらじ」を履いて活動している。
俳優の仕事を始めたのは、学習院大学文学部の学部生の頃。日本語日本文学科に通いながら芸能事務所に所属し、ドラマや映画に出演した。大学3年生のときには、柴咲コウ主演の映画『少林少女』に、主人公が属するラクロスチームのメンバーの一人として出演。静岡でロケをしながら大学に通うという過酷な日々も過ごした。
「今でもあまり売れていないので、仕事は少ないですね」
そう言って笑うが、テレビや映画など映像を中心に、NHK大河ドラマ『八重の桜』、NHKスペシャル『未解決事件』、映画『図書館戦争』など仕事の幅は着実に広がっている。
一方、劇団「貴社の記者は汽車で帰社」を立ち上げたのは、大学1年生のときだ。日本語学演習の授業を履修していた仲間たちと、「高校生のようなノリで」劇団を結成し、芥川龍之介の『偸ちゅうとう盗』を舞台化して、大学祭で発表した。「1回で終わる予定だったのですが、あまりに楽しくて、その後も続けています」と千野さんは話す。
これまでの演目は、『源氏物語』『伊勢物語』『義経記』といった古典文学作品が中心。古典を舞台化することでその面白さを伝えるのが、劇団のコンセプトだ。脚本と出演、作品によっては演出も千野さんが手がける。
メンバーは大学卒業後、会社員、銀行員、教員、公務員と、バラバラな職業に就いたが、現在も、学生時代とほとんど変わらぬ顔ぶれで劇団の活動は続いている。

Yuko-Chino_02.jpg
脚本を読みながら、劇団員と演技の方向性を決めていく。執筆、出演、演出の三役をこなす
Yuko-Chino_03.jpg
舞台では役者が本物の箏を奏する。衣装や小物に徹底した時代考証を施すのが、劇団の持ち味だ

3つの活動がすべてつながっている

3つ目の活動領域である学習院の大学院では、平安時代に書かれた『狭衣(さごろも)物語』の研究を続けている。千野さんが古典文学の魅力にとりつかれたのは、高校生のときだった。
「学習院の女子高等科2年生の頃、日本語日本文学科の神田龍身先生が、高校に出張講義にいらしたんです。その講義を聴いて、『古典って、こんな面白い読み方があるんだ』と驚きました」
大学に入学して神田教授と再会したとき、教授は「君、女子高等科にいた子だよね」と
声をかけてくれたという。入学後は、神田教授の講義を履修し、教授の指導のもとで『源氏物語』を題材に卒論を書いた。現在も、院生として指導を仰いでいる。
一つの作品をどれだけ面白く読めるか――。それが、千野さんの一貫したテーマだ。そもそも日本の古典文学には、題材、ストーリー、着眼点などにおいて「面白い」作品が数多くあるが、どれだけ長い間読まれ続けてきた作品であっても、「面白さ」を発見する作業に終わりはない。そうして見つけた面白さを、研究に活かし、劇団の舞台にも活かすのが千野さんの流儀だ。
舞台の衣装はすべて手作りで、所作やセリフなどの時代考証もしっかり行う。そのすべてに、古典文学の知識が活きている。一方、日本舞踊や殺陣(たて)の稽古といった舞台のための鍛錬が、プロの俳優としての活動に活かされている。
「毎日がとても忙しいのですが、すべてがつながっているので、とくに切り替えなどを意識したことはありません」
「三足のわらじ」というよりむしろ、「一足の大きなわらじ」を履いている。そういうべきかもしれない。

勉強に打ち込んだ学部生の頃

劇団の最新公演のタイトルは、「花にあらず―『松浦宮物語』より―」。物語の進行役である「男」を演じ、脚本と演出も手がけた。
稽古では、自ら手がけた脚本を片手に、役者の一つひとつの演技、セリフ、立ち位置などをチェックし、ときに演技に加わって、殺陣のシーンをこなす。学生時代からすでに8年間の付き合いとあって、団員同士のやり取りは〝あうんの呼吸〞といっていいが、時折、意見の食い違いが生じる場面もある。そこをうまくまとめて、皆が納得できる方向に導いていくのも千野さんの役割だ。劇団のなかで、プロの俳優として活動するのは千野さん一人。その「演技勘」が随所に発揮される。
大学時代は、俳優の仕事をこなしながら、国劇部に所属し、歌舞伎の舞台にも立った。しかし、「芸能」の道を邁進してきたわけでは必ずしもない。学部生の頃に最も楽しかった思い出は授業。そう言い切る。
「とくに古典の授業はいつも楽しみでした。勉強に打ち込んだし、打ち込めば打ち込むほど勉強が楽しくなったからです」

Yuko-Chino_04.jpg
劇団員たちと。多くは学習院の学部時代からの仲間。それぞれに仕事をしながら、年1、2回の作品発表を続けている
Yuko-Chino_05.jpg
(写真上)主演した劇団の舞台『義経記』。(写真下)現代劇の舞台に客演することも(劇団appleApple『Fried StrawberryShortcake』作・演出 永妻優一)
Yuko-Chino_06.jpg

面白いものに必ず出合える

現在の活動の根底にあるのは、「古典が大好き」という揺るがぬ思いだ。学部、大学院時代を通じて血肉化されてきた古典文学の教養が、すべてのベースとなっている。
彼女の場合は、たまたま古典だった。しかし、学習院の文学部、とりわけ日本語日本文学科には、面白いものがたくさんあふれていると千野さんは言う。
「日本語日本文学科は、『これは本当に面白い』と思えるものに必ず出合えるところだと私は思っています。私の友人のなかには日本語教育にはまった人もいたし、民俗学に熱中した人もいました。『何かを見つけたい』と考えている人は、必ずその『何か』を見つけることができるのではないでしょうか」
ユニークな学科でもある。1年時には漢字書き取りテストがある。レベルは高く、常用外漢字も出題。常用外漢字は旧字体で書かなければならない。
教員も個性派揃いだ。しかし、近寄りがたい雰囲気があるわけではない。教員と学生の距離が近い文学部のなかにあって、日本語日本文学科もまた、勉学の指導に、相談にと、教員が親身になって学生と接してくれる。
「大学の先生には、研究者寄りの方と教育者寄りの方がいますが、日文には教育者寄りの先生ばかりだと思います」

学習院には「熱い奴」が多い

当面の目標は、博士号を取ること。毎週、仕事や舞台活動のかたわら、大学院に通い、神田教授の指導のもと、こつこつと研究活動を続けている。
一方、劇団での活動もずっと続けていきたいと考えている。
「研究成果を書籍にし、そのテーマで脚本を書いて舞台にもする。そんな形で古典文学にかかわり続けることができたら、最高だと思っています」
三つの活動のどれにも一切手を抜かず、全力で打ち込み続ける。それは楽なことではないはずだが、千野さんはあくまで自然体だ。「今の生活で最も大変なことは何か」という問いにしばし黙り込んで、笑いながらこう話してくれた。
「確かに、難しいこととか大変なことは色々あります。でも、喉元を過ぎるとすぐに忘れてしまうから、何が大変だったか思い出せないんですよ」
外部の人からは、「学習院大学には、おとなしい人が多いのでは?」とよく言われるそうだ。しかし、深く話をしてみれば、実はとても「熱い」人が多いことに気づいたと千野さんは言う。
「表面的にがつがつしている人はあまりいないかもしれません。でも、内面で炎を燃やしている人はたくさんいます。一見そうは見えないけれど、本当はものすごく熱い奴が多い。それが学習院の隠れた特徴ではないでしょうか」
クールに見えるが、実は、自らの心に忠実に生き、努力を重ね、一つひとつの活動を確実に自分の人生の成果としていく――。千野さんもまた、そんな「熱い奴」の一人である。

Yuko-Chino_07.jpg
大学院生でもある千野さん。この日は神田教授のゼミ「『うつほ物語』の世界―生成する物語」に出席。神田教授の解説に熱心に耳を傾ける
Yuko-Chino_08.jpg
神田教授が主宰する学習院大学平安文学研究会が編集した『うつほ物語大事典』を手に神田教授と。千野さんも執筆者の一人だ

Column

高校時代から愛読している古典文学作品

Yuko-Chino_09.jpg

千野さんが古典文学の魅力を知ったのは、高校生の頃。自分で初めて買った本が、角川ソフィア文庫の『伊勢物語』だった。値段が手頃で、ラインナップも充実していることで定評のある文庫シリーズの1冊だ。日記文学、歌謡、随筆と、古典にもさまざまなジャンルの作品があるが、現在に至るまで最も愛好しているのが物語文学だという。一つひとつの言葉の意味をとりながらゆっくり読んでいかないと理解できないところも、実は古典作品の魅力だと千野さんは言う。「古文の文体に慣れていくと、書かれていないことまでが読み取れるようになります。それが楽しいんです」