東京都歴史文化財団職員 岩城 紀子

歴史の知識を活かして文化を発信

江戸東京博物館の学芸員として数々の展示を企画し、
現在は、東京文化会館でコンサートの制作に携わる岩城紀子さん。学部、大学院で得た知識と経験を活かし、文化発信を続けている。

Noriko-Iwaki_01.jpgNoriko Iwaki 東京都歴史文化財団職員
1964年、東京都生まれ。人文科学専攻博士後期課程を満期退学。専門は日本近代史。これまでの主要な論文に、「出世双六の変化」「浄土双六考」「化物と遊ぶ」「明治の双六コレクター」などがある。『開花の東京を探検する』(中央公論社)では監修を務めた。

学習院大学文学部史学科を卒業し、東京都江戸東京博物館の学芸員を20年以上にわたって務め、数々の歴史企画展を手がける――。この経歴のみに着目すれば、希望通りの一本道のキャリアを歩んできたように見える。しかし、岩城紀子さんのこれまでの歩みのなかには、さまざまな出来事があった。
女子高等科から学習院大学に進学し、卒業後、一般企業に入社した。男女雇用機会均等法が施行されてから社会に出た第一世代である。しかし、仕事の現場にはまだまだ公平とは言い難い状況が残っており、理想と現実のはざまで悩む日々が続いた。結局、3年ほど働いたのちに大学に戻った。
「卒論を書いている頃から、歴史研究は面白いと感じていました。当時は、卒業後数年間は大学院への推薦が受けられる制度があったんです。それを利用して、学習院の大学院に入りました」
岩城さんはそう振り返る。
江戸東京博物館の開館準備で非常勤の学芸員を募集していると耳にしたのは、その2年後。修士2年の頃だった。大学時代に学芸員の資格を取得していた岩城さんは、すぐに応募をし、働くことになった。28歳の頃である。
その後、正式に採用され20数年にわたって大小さまざまな企画を手がけたのち、今年の4月、江戸東京博物館と同じ東京都歴史文化財団が運営する、上野の東京文化会館に転属となった。クラシック音楽の殿堂と呼ばれる由緒ある施設で、コンサートの企画、制作、運営を行うのが現在の職務だ。
「父が音楽関係の仕事をしていたので、幼い頃から何度も来たことのある場所でした。でも、まさか自分がここでコンサートを企画する立場になるとは思っていませんでした」
博物館の学芸員とは、かなり勝手の違う仕事のように思えるが、企画のアイデアを練り、細かな調整をし、聴衆に楽しんでもらうという点ではほとんど変わらないと強調する。
「私は歴史の専門家ですが、その視点から音楽というジャンルにアプローチするとどのような企画が生まれるのか。そんなことを考えながら、毎日楽しく仕事をしています」

日本近代史の知識を企画に活かす

そんな岩城さんだが、学芸員に成りたての頃、抱いていたイメージと実際の仕事とのギャップに驚いたことがあったと話す。
「学芸員は、ほとんど体力勝負の仕事です。もちろん、調査や研究などの学術的な仕事もあるのですが、展覧会の準備となると、会場の設営に立ち会い、図録の編集や原稿の執筆をし、関係者との調整をするなど、幅広い仕事を次々とこなしていかなければなりません。展覧会オープン直前には、展示作品を借用するための輸送の仕事があります。体力的にかなりきつい仕事です。展示物の所有者と交渉をして借り受ける段取りを立て、トラックに乗って全国を回るんです」
美術作品や文化財などを輸送する際は、担当の学芸員が立ち会い、同乗しなければならない――。そんな決まりに則って全国を「行脚」するのも、学芸員の重要な仕事なのだという。
「だから展示の直前は、ほとんどトラックドライバーみたいな生活になるんですよ(笑)」
学部時代は、2011年3月に退任した井上勲教授のもとで近代史を学んだ。中公新書の『王政復古』などで広く知られる歴史学者だ。その井上教授の指導のもとで書いた学部時代の卒論のテーマは、大正5年に総理大臣に就任した寺内正毅だったが、大学院に入ってからは、一転して「絵双六」という一風変わった題材をテーマに選んだ。
「絵双六は、中世からある人生ゲームのような遊戯なのですが、明治、大正、昭和と時代ごとの絵双六の変遷を見ていくことで、出世に対する考え方がどう変わってきたかがよくわかるんです」
その研究は、のちに江戸東京博物館における「絵すごろく展〜遊びの中のあこがれ〜」という企画につながり、多くの来館者に新たな近代史の切り口を提示することとなる。
学芸員時代、岩城さんは大規模な展示を5本、やや小規模の展示を2本手がけた。大きな展示は、絵すごろく展のほかに、幕末から明治にかけて活躍した浮世絵師・河鍋暁斎、戦前の日本画家・川端龍子、江戸後期の代表的な画家・葛飾北斎のそれぞれの作品展と、パリ、東京、大阪などの「塔」の歴史を伝える「ザ・タワー〜都市と塔のものがたり〜」である。「ザ・タワー」は、東京スカイツリーのオープンに合わせて企画したものだ。
一方、小規模なものでは、西郷隆盛と日比谷焼き討ち事件をそれぞれにテーマとした企画を手がけた。いずれも、学部から大学院を通じて身につけた日本近代史の知識を活かした、岩城さんならではの企画だ。

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東京・上野公園の一角にある東京文化会館。1961年に建てられた由緒ある施設だ
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ロシアのボリショイ・バレエのポスター。東京文化会館のステージ裏には、過去の公演のポスターや看板などが残されている

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これも東京文化会館のステージ裏の写真。壁や柱に出演者のサインがびっしりと書かれている
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東京文化会館のステージ裏にて。「このポスターをずらっと並べたら、それだけで展示会になりそう」と話す。

学生を尊重し一個人として接する

学習院時代で最も印象に残っているのは、井上教授の人柄であると岩城さんは話す。
「ある時、井上先生のところに質問をしに行くと、『岩城さん、この論文とこの論文は読みましたか?』と逆に聞かれたんです。『いいえ』と答えると、『では、ぜひ読んでみなさい』とおっしゃるわけです。図書館でその論文を読んでみると、すべての疑問がたちまち氷解してしまう。そんなことがありました」
大学院時代、ゼミの後は教授とともに居酒屋に行き、夜遅くまでみんなで飲むのが常だった。
学生を尊重し、一個人として接するのが、井上教授の流儀だったのではないかと岩城さんは言う。そのマインドは、学習院大学の教員の多くに共通するものだという。
岩城さんは現在、学習院女子大学で学芸員志望者を対象とした「博物館経営論」という講義を受け持っている。これまでの自分のキャリアを踏まえ、「大学が人生の終着点ではない」とアドバイスを若者にすることもある。大学は一つの通過点に過ぎないのだと。
「若いうちから自分の人生を枠にはめてはいけない。私はそう思っています。自分に関する決まりごとをつくったりせず、新しいことを吸収できるチャンスがあったら、臆せずにどんどん挑戦すべきです」

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東京・両国にある江戸東京博物館。1993年にオープンした国内最大規模の歴史博物館だ
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江戸東京博物館の常設展示の「文明開化東京」のコーナーにある銀座煉瓦街(右)と鹿鳴館の模型。このコーナーも一時期岩城さんが担当していた
写真提供:江戸東京博物館
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岩城さんが企画した展覧会「ザ・タワー」の図録。こうした出版物の編集や原稿の執筆をするのも学芸員の重要な仕事
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学部時代、卒業間近の1コマ。一緒に写っているのは、同級生と史学科の副手
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岩城さんが責任編集を務めた『開花の東京を探検する』(中央公論社)。読売新聞の連載「江戸博 蔵めぐり」などをまとめたものだ
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大学3年の夏休みに、井上教授が担当する日本近代史ゼミの合宿で長野県駒ヶ根を訪れた。これは、その時の写真

豊かな文化が生まれる基盤をつくりたい

現在の仕事に至るまで、さまざまな変遷があった。会社員としての生活を続けることも、あるいはできたかもしれない。しかし、いろいろなことに挑戦してみたいという気持ちが、次のステップに彼女をいざない、それが新しいキャリアへとつながっていった。
「今は、音楽の仕事に携わっていますが、ここが終着点だとは思っていません」
将来は、この国の文化行政にもかかわりたいと思っている。
「どのようにすれば、公的な資金がスムーズに文化の担い手に流れるのかを考えながら、、豊かな文化が生まれる基盤をつくり、その文化をより多くの人が享受できるようにする。そんな仕事にいつか取り組んでみたいと考えています」
会社勤め、歴史研究、博物館の企画立案や運営、コンサートの企画、大学の講師││。こうした多様な経験と、学習院で身に付けた日本史の知識を活かし新しい「文化」の形をつくっていくこと。それはおそらく、岩城さんにふさわしい仕事に違いない。

Column

岩城さんプロデュース「えどはくタワーズ」

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企画展「ザ・タワー~都市と塔のものがたり~」をPRするために結成されたのが「えどはくタワーズ」というキャラバン隊。企画したのは岩城さん。「歴史展示はどうしても堅苦しくなりがちなので、殻を破りたいと考えたのが、この『カブリモノダンサーズ』でした」と話す。ニシハラ・ノリオ、ダンスカンパニー、まことクラヴといった人気パフォーマーとのコラボという、前例のない取り組みで、実現にこぎつけるまでが大変だったが、観客、とりわけ子どもたちに大好評だった。「そういえば、あの時、変なものを見たなあ、と記憶に残ってくれるとうれしいですね」