落語家 古今亭 文菊

穏やかな空気が育んだ人間としての基盤

大学卒業後、落語界に「就職」し、10年目にして師匠と呼ばれる〝真打ち〞に昇進した古今亭文菊さん。
大学時代の経験はその芸にどう生きているのだろうか。自身のこれまでの歩みと併せて語ってもらった。

Bungiku-Kokontei_01.jpgBungiku Kokontei 落語家
1979年、東京都生まれ。2001
年、文学部史学科卒業後、古今亭圓菊に入門。03年1月に前座に、06年5月に二ツ目に昇進する。12年9月には28人抜きで真打ちに昇進して話題に。これまで、NHK新人演芸大賞落語部門大賞、浅草芸能大賞新人賞などを受賞している。

入門後、見習いからスタートして「前座」「二ツ目」「真打ち」と、順を追って昇進していく落語の世界。通常、真打ちになるまでには、12年から15年くらいの修業が必要とされる。その厳しい世界で、2012年、入門10年目にして真打に昇進したのが、古今亭文菊(本名・宮川真吾)さんだ。先輩28人を抜いての昇進という快挙。新作落語を好む若手が多いなかにあって、江戸時代から伝わる古典落語に真剣に取り組む姿勢を評価されての昇進だった。
いかにも新進気鋭の若手落語家といった印象だが、学生時代は特に落語に興味をもっていたわけではなかったという。
学習院には高等科から在籍し、漕艇(ボート)部に所属。部活動に熱心に取り組んだが、大学でやりたいことは明確ではなかった。
「当時、好きだった漫画の影響で、考古学にちょっとだけ興味がありましてね。なら、歴史の学科だろうってことで、学習院大学の文学部史学科を選んだわけです。入試のときの口頭試問ってので、『何がやりたいんですか?』って先生がお聞きになるんで、『考古学をやってみようと思っています』と答えると『うちの史学科にはね、考古学はないんですよ』と言われちゃいました。まあ、もう選んじゃったから、しかたがねえやってんで、そのまま史学科で勉強しましたけどね(笑)」
入学後は、西洋中世史の研究で有名な堀越孝一教授の元で学んだ。勉強に対しては真面目で、卒論にも熱心に取り組んだという。

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2007年、尊敬する師匠、古今亭圓菊さんを隣にして、やや緊張している様子

身をもって知った落語の世界の厳しさ

一方、大学に通うかたわら、外部の劇団に所属して演劇に取り組んだ。
「本気で役者になりたいと思っていたわけではないんですが、何かに熱中したかったんでしょうね。卒業してからも半年くらい、その劇団でお世話になりました」
劇団での生活は、しかし自分が求めているものではないような気がした。生き方を模索するなかで、ある記憶がよみがえった。
「高校生の頃、テレビでやっていた落語を見たことがあったんです。落語のことなど何にも知りやしませんでしたが、噺だけなのに風景が鮮やかに浮かぶのがとにかくすごいなあ
と思いましてね。その記憶がふっとよみがえったわけです。これだ、と思いました」
初めて見たその落語家こそが、のちに師匠となる古今亭圓菊さんだった。
落語に思いを定めた文菊さんは、圓菊さんに手紙を書き、彼が出演していた新宿末廣亭に通って、楽屋の出口で弟子入りを何度も頼み込んだ。しかし、圓菊さんは決して首を縦には振らなかった。
「師匠はその頃すでに74歳でしたから、おめえが真打になるまで、生きちゃいられねえって言うんです」
しかし、折れたのは圓菊さんのほうだった。10日間の興行の最終日、ついに「ご両親をつれてこい」と文菊さんに告げたという。
夢にまで見た一流落語家の元への入門だったが、内側から見る落語の世界は想像を絶する厳しさだった。文菊さんは振り返る。
「見習い、前座は人にあらず、というのが落語の世界でして、1年365日、一日も休まずに師匠のお宅に通いつめて、掃除から身の回りのお世話から、すべてをやらなければなりません。しかもうちの師匠は、苦労しなければ一人前の落語家にはなれないという主義を貫いていましたから、弟子に苦労させることだけが目的みたいなもんでした」
怖くて自分から師匠に話しかけることなどできない。黙々と掃除をしていると、「黙ってねえで、何か話さねえか」と言われる。「今日はいいお天気で」と応じると、「てめえがいい天気にしたのか、ばかやろう」となじられる。
「理不尽の国から理不尽を広めに来たような人でしたねえ」
今でこそ笑って話せるが、当時はあまりの厳しさに「青森の恐山まで逃亡することを本気で考えた(笑)」こともあったという。
それでも文菊さんは落語家の道を着実に進んでいった。入門から3カ月で前座となり、早くも高座に上がるようになった。二ツ目に昇進したのは、さらに3年が経ってからだ。
「二ツ目になると、紋付き袴を着ることが許されるんです。自分の手ぬぐいも染めて、出囃子も決まってと、まあ、ようやく一人の落語家として何とかかんとか認めていただけるわけです、普通はね」
「普通は」というのは、圓菊師匠が「普通」ではないからで、二ツ目に昇進しても、師匠の文菊さんへの接し方は一切変わらなかった。
「二ツ目になるまでの辛抱と思っていましたから、がっくりでした。あの頃が一番辛かったかもしれません」
それでも、ただ一度だけ、師匠は温かい言葉をかけてくれたことがあった。
「あるとき、『よくがんばったな、おめえ』とぽつりとひと言だけ言ってくれたんです。そのときのうれしさといったらありませんでしたが、すぐに自分に言い聞かせました。『いやいや、これは何かの間違いだ』ってね(笑)」
かつて文菊さんに「真打ちになるまで生きちゃいねえ」と言っていた圓菊師匠は、文菊さんが真打ちに昇進した1カ月後の12年10月、84歳で帰らぬ人となった。
「師匠に晴れ姿をお見せできたことが何よりの孝行でした」。文菊さんはそう話す。

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2012年9月2日に帝国ホテルの「富士の間」で開催された真打昇進披露パーティの模様。前座・二ツ目時代の「古今亭菊六」から「古今亭文菊」への改名を招待客に報告した。師匠の圓菊さんは、このおよそひと月後に天国に旅立った
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新宿のイベントスペース「LEFKADA」にて。寄席以外に、このようなライブハウスやホールに出演することも多い。「呼んでいただければどこにでも行きます」と文菊さん
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真打ちになると自分の扇子を作るのがしきたり。お披露目のときに1000本以上の扇子を作って配ったという。傷んだ扇子を弔う「扇子供養」という儀式もあるのだとか

時間がゆっくり流れているそれが学習院の魅力

落語において最も大切なのは、技術や知識ではなく、「人間としての基盤」であると文菊さんは繰り返し語る。
「どんなに取り繕っても、着飾っても、高座に上がってお客さんを前にしたら、自分を隠すことはできやしません。落語家というのは、人間が試される商売であるということが、近ごろ、ようやく少しずつわかってきました」
もって生まれたものは、どうなるものでもない。ただ、毎日を一生懸命に生きて、時間をかけて自分が本来もっているものを磨いていくしかない。日々を生きた結果、人はなるべきものになっていく。それがいつか、味わいとしておのずとにじみ出るようになる。そこに近道はない――。それが文菊さんの信念だ。
師匠は、あえて苦労させることで、落語家に必要な「人間としての基盤」を、鍛え、磨いてくれた。今ならそう思える。
「昔は嫌で嫌でしかたがありませんでしたが、たいへんな財産を授けてくだすったと、今は本当に感謝しています」
真打ち昇進は、むろん、ゴールではなく新しいスタートである。古典落語の精進は死ぬまで続く作業だと文菊さんは言う。創作落語は一切やらない。「新作をやると古典の空気感が消えてしまう」と言った師匠の教えをずっと守り続けるつもりだ。
学習院を卒業してから12年。大学を卒業しても何をすべきかわからなかった宮川青年は、葛藤と苦労の末、「文菊師匠」として落語界を牽引する立場に今も身を置く。学生時代、その「何をすべきかわからない」感覚を優しく受け止めてくれたのが、学習院の校風だったと文菊さんは話す。
「時間がゆっくり流れているという感じが学習院にはあると思います。世の中の激流から少し距離をおいたところで、無理せずに、立ち止まって考える時間を与えてくれる。そんな空気感があったから、あたしも焦らずに、自分が進むべき道についてじっくり考えることができた。今になってそう思います」
学習院で過ごした緩やかな時間、師匠による厳しい指導、そして人知れぬ努力――。さまざまな要素によって作られてきた落語家古今亭文菊の「人間としての基盤」は今、一つの芸として確実に実を結んでいる。

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私服もお洒落な文菊さん。和服を脱ぐと、雰囲気や顔つきが、落語家から今どきの好青年にがらりと変わる。
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真打ちに昇進したときに作ったオリジナルの手ぬぐいと千社札。手ぬぐいの似顔絵は、幼少の頃から昵懇にしていた歌舞伎俳優、十二代目市川團十郎さんに二ツ目昇進の際に描いてもらったもの

Column

いつも懐に忍ばせている亡き師匠の手ぬぐい

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菊をあしらった色褪せた手ぬぐい。文菊さんの師匠、古今亭圓菊さんが生前使っていた手ぬぐいだ。文菊さんは、いつも師匠の手ぬぐいを懐に忍ばせて本番に臨む。厳しい師匠だった。何度逃げ出そうと思ったかわからない──。そう文菊さんは振り返る。しかし、その厳しさが、落語家としての基礎を作ってくれた。真打ちに昇進してからは、師匠のほうから笑顔で話しかけてくれることも増えたという。その師匠は、弟子の晴れ姿を見届けて、ほどなく帰らぬ人となった。しかし、師匠は今も、文菊さんの懐の奥から、最愛の弟子の芸を見守っている。