間塚 道義(富士通)
「世界一のスパコン」誕生の功労者
世界に誇る日本のコンピュータメーカー・富士通。
同社の道のりは、日本のコンピュータ史でもある。
今日の隆盛を導いた経営陣の1人が、現在会長を務める間塚道義さんだ。

間塚 道義 Michiyoshi Mazuka
富士通 取締役会長
Profile
1968年、経済学科卒業後、富士通ファコムに入社。71年富士通に転社し、営業部門で活躍。2001年取締役に就任し、取締役専務、代表取締役副社長などを経て、08年6月代表取締役会長、09年9月代表取締役会長兼社長に就任。10年4月より代表取締役会長、12年6月より取締役会長、14年6月より取締役相談役、16年6月より相談役。
Voice
海外に出てさまざまな経験を積んでほしい
2011年6月、日本人にとって晴れがましいニュースが世界中を駆け巡った。理化学研究所と富士通が共同開発した次世代スーパーコンピュータ(以下、スパコン)『京』が、世界最高速を記録して世界一に輝いたのだ。
このプロジェクトに経営トップとしてかかわったのが、富士通会長の間塚道義さん。本学が世に送り出した、経済界の重鎮の一人である。
その道のりは平坦ではなかった。技術的な難易度はもちろん、09年の事業仕分けで、開発予算が事実上凍結。その後の社内会議でも、プロジェクトの継続を巡って議論が紛糾した。
「完成間近の11年3月に東日本大震災が発生し、『京』の部品開発を担う東北の工場と、数週間も連絡がとれなくなりました。一時は、世界一への挑戦を断念せざるをえない状況でしたが、被災した工場の方々は、『他社の注文を断ってでも、京のために頑張ります』と言ってくれた。こうした皆さんの献身的な協力なくして、『京』は実現しなかったのです」

Column 世界最高速を記録した次世代スパコン
文部科学省の次世代スパコン計画の一環として2006年にプロジェクトがスタート。理化学研究所と富士通が共同開発し、12年6月に『京』が完成した。11年6月と11月には2期連続で世界最高速を記録し、スパコン・ランキング「TOP500」で世界一を達成した。
「世界一」を目指す仕事で人材を育てる
こうして、富士通の開発者と協力会社が一丸となって取り組み、同年6月に『京』は世界最高速を達成。ついに、世界一の偉業を成し遂げた。
スパコンは気象予測や資源探索、防災、高度医療、航空機の流体計算など幅広い分野で使われており、もはや、スパコンなくして科学技術の未来はない。その意味でも、『京』の誕生は、日本の産業界に光明を投げかけたといえる。ただ、日本の製造業を取り巻く状況は深刻だ。グローバル競争の激化に円高が追い打ちをかけ、大変厳しい状況にある。
「今後、日本が世界で生き抜いていくためには、高い目標を達成できるだけの専門性を極めた人や、自由な発想と創造性をもち、新しいことにチャレンジする人が必要です。こうした人材が結集して、グローバルビジネスを展開していくことが、今、求められています」
間塚さんとコンピュータとのかかわりは、大学時代からだ。在学中は、故・田島義博教授が顧問を務める広告研究会に所属。マーケティングや広告の理論を学ぶ傍ら、市場調査などのアルバイトも経験した。
当時はコンピュータ産業の黎明期(れいめいき)。近い将来、コンピュータはマーケティングに欠かせないツールになると言われていた。その将来性を直感した間塚さんは、富士通ファコムに就職。今日のコンピュータ産業、ひいては情報通信技術の隆盛を導き、時代の先端を駆け抜けてきた。その一つの到達点ともいえるのが、『京』の誕生だ。しかし、現状に甘んじていては、日本の地位はたちまち凋落しかねない、と警鐘を鳴らす。
「海外で、こう言われたことがあります。『日本の技術は素晴らしいし、あなた方の提案は誰もが認めるナンバーワンだ。しかし、最後には他のアジア勢が契約を持っていく。気をつけたほうがいい』と。最近は若者の海外離れが顕著ですが、惰眠をむさぼっている時ではありません。こんな時代だからこそ、海外でさまざまな体験をしてほしい。自主的に考えて行動する力を磨き、グローバルに活躍してほしいと思います」

