定保 英弥(帝国ホテル)
老舗ホテルの伝統と革新をリードする
国内随一の伝統と格式を誇る帝国ホテルの東京総支配人、定保英弥さん。
47歳という若さで取締役に就任した気鋭のホテルマンだ。

定保 英弥 Hideya Sadayasu
帝国ホテル 専務取締役 東京総支配人
Profile
1984年経済学科卒業後、帝国ホテル入社。帝国ホテルハイヤ ー取締役、インペリアル・キッチン取締役などを経て、2009 年帝国ホテル取締役常務執行役員・帝国ホテル東京総支配人 に就任。12年4月より専務取締役、現在は代表取締役社長。
Voice
かゆいところに手が届くサービスを追求したい
日本の迎賓館として1890年に開業し、伝統と格式を誇る帝国ホテル。その東京総支配人を務める定保英弥さんが、取締役常務執行役員に昇進したのは、わずか47歳の時のことだ。老舗ホテルでは、異例の早さでの役員就任のニュースは、業界に爽やかな風を吹き込んだ。
「帝国ホテルに就職したのは、父が航空会社に勤めていた関係で、海外と接点のある仕事をしたいと思っていたから。子どもの頃に帝国ホテルに泊まった時の印象が強かったので、この会社を 希望しました」

Column 近代を代表する名建築帝国ホテル・ライト館
帝国ホテルの初代の建物が焼失し、2代目の建物として1923年に竣工したのが、フランク・ロイド・ライト設計の「ライト館」だ。幾何学模様などの独創的なデザインで多くの人を魅了したが、新本館建設のため、多くの人に惜しまれながら1967年に閉鎖された。
逆境で真価を発揮した老舗ホテルのDNA
帝国ホテルは2010年11 月に開業120周年を迎えた。だが翌年3月11日、その記念パーティが行われた直後、東日本大震災が東京を直撃。都内は大混乱に陥り、定保さんはいち早くオペレーションセンターを立ち上げて、避難者支援の陣頭指揮をとった。ロビーや宴会場を開放して、帰宅難民2000名を受け入れ、備蓄の毛布やペットボトルの水を提供。厨房では野菜スープを作ってふるまった。ホスピタリティあふれる対応に、「さすが帝国ホテル」と世間の評価も高まった。
「細かい指示を出さなくとも、スタッフ全員が一丸となって力を結集してくれた。先輩が積み重ねてきたノウハウや現場力が生きていると感じました。実は、1923(大正12)年のライト館開業当日も、関東大震災に直撃されたんです。幸いライト館に被害は少なく、被災者の方々のために炊き出しをしたり、新聞社や大使館関係者に設備を提供して、お役に立てました。そのDNAは脈々と受け継がれていると感じます」
しかし今や、ホテルもグローバル競争の時代だ。東京では外資系ホテルの進出ラッシュで、帝国ホテルも新しい挑戦の時を迎えている。
「我々の強みは長年培われたブランド力と、かゆいところに手が届くサービス、それに抜群のロケーションです。"メイド・イン・ジャパン"のホテルとしての矜持(きょうじ)があります。しかし、これからは、グローバル人材の育成が急務。海外留学制度などにも力を入れ、世界に通用するホテルマンやホテルウーマンを育てていきたいと思っています」
営業、サービスから厨房スタッフや客室係に至るまで、ホテルではさまざまな職種の人々が働いている。現場を一つにまとめるには、高度なリーダーシップが欠かせない。
定保さんがリーダーとしての資質に磨きをかけたのは、大学時代のサークル活動がきっかけだ。約100人ものメンバーを擁するテニスサークル「SUN」の副将として大所帯をまとめ、時には後輩を叱りながら、率先してトラブルの解決に当たった。「そこから得たものは大きかったですね」と、定保さんは振り返る。
「都心のキャンパスで、これほどの敷地と緑に恵まれた環境は珍しい。学習院大学は小さな所帯なので、アットホームな雰囲気で結束も固い。そんな環境で4年間を過ごせば、多くのものを吸収できるチャンスがあるはず。友だちをたくさんつくり、自分はこれだけは負けないというものを磨いてほしい。とくに、語学は頑張って学んでほしいですね」

