超高齢社会を迎え加齢に伴う老化あるいはアルツハイマー病の予防/治療法開発は世界的に喫緊の研究テーマとなっています。老化した脳やアルツハイマー病患者脳では共通に神経原線維変化(Neurofibrillary tangle: NFT)と呼ばれる嗜銀性構造物が神経細胞内に観察されます。アルツハイマー病の脳ではNFTの他に老人斑と呼ばれ、βアミロイドが細胞の外に蓄積しているのが観察されます。家族性アルツハイマー病の原因遺伝子(APP, PSEN1, PSEN2)がβアミロイド産生に関係することから、βアミロイドが原因であるとする「βアミロイド仮説」に従ったアルツハイマー病治療薬開発が行われましたが、これまでに顕著な進行抑制効果は得られていません。
一方でNFTの分布や数は脳の萎縮程度や認知症の進行とよく相関することが知られています。NFTは過剰にリン酸化されたタウタンパク質が主な構成成分です。タウは微小管結合蛋白質で神経細胞では軸索に存在し微小管の安定化、軸索輸送に関係しています。当研究室ではNFTに注目してタウの生理的な機能、タウが神経細胞内で凝集する仕組み、凝集したタウが神経細胞死を起こす仕組みを調べて、世界中の研究者と共同で脳老化やアルツハイマー病発症機構を明らかにし、治療薬開発を行おうとしています。
ヒトタウ遺伝子は17番染色体長腕17q21に存在し16個のエクソンから構成されています。タウタンパク質はエクソン2、エクソン2と3、及びエクソン10の選択的スプライシングによってアミノ酸が352−441個からなる分子量の異なる6種類のアイソフォームを発現しており、ヒトでは6種類のアイソフォームを発現しています。
家族性認知症の一つである前頭側頭型認知症FTDP-17ではタウ遺伝子に変異が見出されています。変異はタウ遺伝子のエキソンとイントロンに存在しエキソンに存在する場合はアミノ酸置換が起こり、イントロンに存在する突然変異ではエキソン10の選択的スプライシングに関与しています。患者脳ではNFT、神経脱落が起こり認知症を引き起こしています。興味深いことにこの病気では老人斑は見出されていません。このことからアルツハイマー病で認知症を引き起こしているのはNFTと神経脱落であると考えることができます。当研究室ではFTDP-17変異タウの性質を調べ、どのようにしてタウが凝集し神経細胞死を引き起こすのかを調べています。
これまでの研究でNFTは加齢に伴って嗅内皮質と海馬(Braak stage I,II)に最初に出現し大脳辺縁系 (Braak stage III, IV)、さらに新皮質(Braak stage V, VI)へと広がります。嗅内野/海馬のNFTが観察される人では記憶機能、認知機能は正常の範囲に入りますが大脳辺縁系、新皮質に老人斑が出現した後NFTが観察されるようになりアルツハイマー病と診断される場合が多いです。嗅内野/海馬のNFTは老化によって引き起こされ、大脳辺縁系、新皮質では老人斑の下流でNFT形成が起こると考えられています。老人斑形成を阻害する化合物の臨床試験が行われましたが老人斑は消失しても認知症進行を抑制できませんでした。そこで当研究室ではNFT形成を阻害する化合物によって認知症治療を行う方法を探索しています。また、老化脳では嗅内野/海馬にNFTが形成されることから、これを指標にタウの生理機能と関連した脳老化研究を進めています。