院生インタビュー 詳細

官民学を知る為替のプロが
再び学びの門を叩く

博士後期課程3年
棚瀨 順哉 Junya Tanase

現場での限界を感じ、アカデミアの重要性を知る

棚瀨順哉さんは早稲田大学商学研究科で修士課程を修了後、チェース・マンハッタン銀行(現JPモルガン・チェース)に就職。18年半の勤務を経て、現在は財務省に勤務する。民間から国家公務員へと移り変わったキャリアを通じて為替のリサーチを職掌とする棚瀨さんは、社会人院生として学習院大学で研究している。為替のプロとして第一線で活躍する棚瀨さんはなぜ大学院で学ぶことを選んだのか。そこにはキャリアの中で突きつけられたリサーチの限界があるという。

「外資系金融のリサーチは1のインプットに対して10のアウトプットが求められるような仕事。仮に論理的なひっかかりを感じたとしても、ゆっくり論文をサーベイするような時間はありません。しっかりとインプットしたいのは山々でしたが、この環境では今後スキルを伸ばしていくのは難しいと感じていました」

その思いは、自身が執筆した一冊の本を通じて強固になる。2012年に出版された棚瀨さんの処女作「エマージング通貨と日本経済(日経BPマーケティング)」。棚瀨さんはこの本を通じて、自由な資本移動・自律的な金融政策・固定為替相場の3つすべてを成り立たせることはできないという国際金融のトリレンマを解説した。内外から得られた高い評価に「なかなか良いことを書いたなと思っていた」と手応えを感じていたというが、後にその感想を改めることになった。

「その後のリサーチで、とある論文を見つけました。私のアイディアをより洗練した形でまとめている内容を見て、改めてアカデミアを無視することの危険性やもったいなさを痛感しましたね。やはり学問として経済をしっかり学ぶ必要があると思い、博士後期課程への進学を決意しました」

2017年に財務省の中途採用へ応募した際には、在籍中に博士後期課程に進むことを考えていた。そこで訪れた清水順子教授との再会が、学習院大学経済学研究室に進むきっかけとなった。

「清水先生は為替の専門家として財務省のさまざまな審議会、研究会等に参画しておられるので、財務省に入ってから一緒に働く機会が増えました。あるときに為替の勉強ができるオススメの大学院を教えていただくようにお願いしました。先生はいくつかの大学の先生の名前を挙げてくださったのですが、博士後期課程は『選んだ研究室で全てが決まる』という話を多方面から聞いていましたので、信頼できる清水先生ご本人にお世話になることにしました」

清水教授は棚瀨さんと時期こそ違うものの、JPモルガン・チェースでキャリアを積んでいる。為替の実務から研究の道へと進んだ清水教授のバックグラウンドは、学問のための学問ではなく、実務と直結する学びを求めていた棚瀨さんにとって、まさに理想的な指導教官だといえるだろう。

学びと仕事と直結しつづけられる理由は「楽しい」という感情

棚瀨さんは現在「クロスボーダー取引における通貨の選択」をテーマに、新興国間の取引における通貨の選択について研究を進めている。新興国間のクロスボーダー取引の大部分は基軸通貨である米ドルで行われるが、近年では経済成長が著しい中国の人民元が取引通貨としての存在感を強めているという。

「一例を挙げると、かつては中国がタイから輸入した部品を安い労働力で組み立て、完成品をアメリカなどの先進国に輸出する三角貿易が主体でした。最終需要者がアメリカであるため米ドルで決済されるのは理にかなっているのですが、近年は中国が最終需要者になることが増えているため、米ドルで決済する経済的合理性が低下してきています」

さらに棚瀨さんは、人民元の存在価値が強まる理由にアメリカと各国の関係性という政治的な要因を指摘した。世界中の国全てがアメリカと良好な関係であるわけではない。時には敵対的ともいえる関係性は、巡り巡って米ドルを使うリスクを浮き彫りにしているという。

「ロシアのウクライナ侵攻を受け、アメリカを含む西側諸国は、金融取引のメッセージングシステムでグローバルスタンダードとなっているSWIFTのネットワークからロシアを排除する厳しい経済制裁を科しました。こうした動きを受けて、アメリカと関係が良好でない国の間では、クロスボーダー取引の決済を米ドルに依存するリスクに対する懸念が広がりつつあります」

現時点においては、米ドルには人民元には無い優位性がある。しかしそれを踏まえてもなお、米ドルの地位が揺らぐ可能性が存在していると棚瀨さんは指摘する。

「アメリカのプレゼンスが下がるとしても、クロスボーダー取引の決済通貨としては、いわゆるメニューコストの面から米ドルが選ばれ続けるでしょう。例えば、豪ドルの対円マーケットは小さいため、流動性に問題があります。一方で豪ドルとドル、円とドルのマーケットは流動性が高いため、豪ドル円単体の市場よりもドルを通した取引のほうがコストが下がるという事情があります。こうした状況では、米ドルが使われれば使われるほど通貨の取引コストが下がりますので、皆で米ドルを使い続ける間は誰も損をしません」

「そのため、経済的な理由で取引通貨をドルから人民元に置き換えるのは難しいですが、一方で政治的な理由は近年大きくなり続けています。反米の国がドルでの取引を止められてしまうようなリスクが現実的になっていくなら、高い経済的コストを払っても「ドル離れ」をせざるを得ない事態になる可能性はあります」

日本の為替政策を担っている財務省で、日夜リサーチを通じて為替の動向を注視し続けている棚瀨さんは、なぜ業務時間の外でも為替を学び続けているのか。その答えは「楽しい」の一言に集約されている。

「前職から合計で20年以上為替の仕事に携わっていますが、やはり楽しいと思えないと長続きしませんよね。世間的な大義のような理由を後付けすることはできますが、それはあくまで後から出てくるものであって。大学院にまでいって学びたいと思うのは、楽しいからやるという思いが根底にあるからだと思います」

官民学を渡り歩いて知った学びの重要性。大学院だからこそできる社会人のリスキリング

財務省、外資系金融企業、そして学習院大学。いわゆる「官民学」を渡り歩いた棚瀨さんは、社会人が学ぶことの有用性と、学び直しに対する世間の変化を感じているという。新卒として就職活動を行った当時は、「特に日本企業には文系の修士を活用するという発想が殆ど無いように感じられた」というが、風向きは確かに変わりつつあるのだ。

「私は研究と直結している仕事をしているので特殊なケースかもしれませんが、仕事と大学院での学びへ同時に取り組むことで、良いリサーチができているという手応えがあります。近年ではリスキリングという言葉が出てきたように、社会が学び直しを歓迎するようになりました。財務省をはじめとした各省庁も民間人材の活用に力を入れるようになり、いわゆる”出たり入ったり”をしやすい環境を整えつつあります」

現に棚瀨さんも、業務の傍ら大学院の講義を受け続け、卒論制作を手掛けている。その背景には従業員の生活を尊重する財務省の柔軟性があった。

「あまり世間的には知られてないと思いますが、公務員は小刻みに休みを取れる制度があります。終業2時間前だけ有給休暇を使ったり、14時から16時だけ中抜けしたりといったこともできるんですよ。もちろんリスキリングのために設けられた制度ではありませんが、私にとっては大学院で学ぶためには非常にありがたい制度でした」

一方、学びやすさは勤め先の制度だけで実現はできない。なぜ棚瀨さんは、社会人学生のための制度がない学習院大学で研究を進められたのか。棚瀨さんは「大学院側が柔軟に対応してくれた」ことを要因に挙げる。

「役所では上席のスケジュールが変わった結果、その後のスケジュールも玉突き式に変わるのは日常茶飯事です。清水先生はこの辺りの役所の事情をよくご存じですので、当日の朝にお願いしてオンライン講義に変えてもらうこともしばしばありました。清水先生だけでなく、学習院の先生方は院生の研究に寄り添ってくれる方が多いので、時間的な制約がある中でも非常に研究はしやすいと感じました。」

制度の外でも院生をサポートする。その姿勢が行き渡る学習院大学は、社会人の学び直しにうってつけであると語った。

「社会人枠こそありませんが、社会人を受け入れることの重要性は学内でも広く意識されているようです。私のように実務経験を経て生まれた疑問を解決したいという社会人にとっては、学習院は学びやすい環境であると感じています。

その学びやすさは、先生方のご経歴から来ているのかもしれません。清水先生もそうですが、民間での実務経験や官公庁と関係した経験がある先生方が多く、著書を見ても社会経済との繋がりを意識されていると感じます。研究成果を実社会に役立てたいという意識が強い先生方がいてくださるのは、社会人院生としては非常に心強いですね」

「リスキリングが注目された背景には、ひとつの組織だけで通用する知識やスキルの価値が下がり、より一般的な社会で通用する知識やスキルを持ったコンペティティブな人材が重要視されるという発想があると思います。そうした背景を踏まえると、学習院大学大学院へ進むのは、多くの人にとってきっといい選択になるはずです。広く通用する知識を身につける場として、多くの方に活用してほしいと願っています」

取材: 2023年9月28日
インタビュアー: 手塚 裕之
文: 手塚 裕之
撮影: 中川 容邦

身分・所属についてはインタビュー日における情報を
記事に反映しています。

取材:2023年9月28日/インタビュアー:手塚 裕之/文:手塚 裕之/撮影:中川 容邦

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