院生インタビュー 詳細

若き経済学者を生んだ、
自由闊達な学習院の学び

修士課程修了生
柿埜 真吾 Shingo Kakino

社会問題解決の鍵は市場経済の活用にあり

柿埜真吾さんは2012年に学習院大学大学院経済学研究科修士課程を修了後、経済学者・思想史家として活動する。若き研究者である柿埜さんの名を広く世に知らしめたのは、2021年に刊行された著書、『自由と成長の経済学 「人新世」と「脱成長コミュニズム」の罠 』(PHP新書)である。

柿埜さんは本書の中で、持続可能な社会の実現には経済成長から脱却すべきという「脱成長コミュニズム」の思想に警鐘を鳴らした。気候変動やコロナ禍といった全世界的な社会課題の原因を資本主義に求める風潮に対し、柿埜さんは痛烈に「NO」を突きつける。

「歴史を振り返ってみれば、資本主義により経済が成長する前は、どこの国も貧しい社会でした。医療の進歩も遅く、平均寿命も短い。しかも民主的ですらなかったわけですから、良い社会だったとはとてもいえません。今の社会が全てすばらしいと言うつもりはありませんが、市場経済の下で人類は大きな進歩を遂げています。現代の問題は資本主義や経済成長をやめても解決しません」

では、なぜ経済成長が悪と捉えられるような論調への支持が集まっているのか。柿埜さんは市場経済への誤解が背景にあり、本質的な問題は異なると指摘する。

「環境問題の原因は市場経済にあるという言い方がされていますが、これはミスリーディングであると言わざるを得ません。市場経済そのものが根本的な悪なのではなく、むしろ市場がうまく機能していないことが問題なのです」

「たとえば、航空会社と観光客の取引を考えてみましょう。取引からは航空会社も観光客も双方が恩恵を得られます。ところが、飛行機の騒音により眠れない周辺住民は、一方的に騒音公害の被害を受けることになります。ここで問題なのは飛行機を飛ばすという経済行為そのものではなく、被害を受けている人たちに対して取引参加者がコストを払っていない点です」

「こうした問題は何も市場経済を破壊しなくても、環境税や所有権制度を適切に設計することで効率的に解決できる問題です」

「市場経済は自発的な交換に基づく仕組みです。自発的交換は必ず当事者双方に利益をもたらします。誰もわざわざ自分の損になる取引をしないからです。自分が利益を得るには、他人にとって必要なサービスを提供しなければならないわけです。だからこそ、企業は消費者の支持を求めて競争し、社会を豊かにする技術革新を生み出してきました。市場経済は、人々がお互いに欲しいものを交換することで利益が生まれ、全体が得をしながら成長できる、自発的協力の仕組みなのです」

「市場が機能しないケースはありますが、市場を否定して脱成長や共産主義で抑圧してしまうと、個人の多様性と自由が失われることにならざるをえません。市場経済では何に価値があるかないかを決めるのは一人一人の消費者ですが、共産主義の下では、何に価値があり何に価値がないかを決めるのは政府や共同体の命令と強制でしかありえません。問題があるからと言って市場を否定するのではなく、税制や適切な制度設計で市場を修正し改善する建設的な議論が必要です」

岩田規久男教授のいる学習院大学へ。"哲学科の人”が経済学を学ぶ

数々のメディアに登場し、経済問題に舌鋒鋭く切り込む柿埜さんだが、学部時代は文学部哲学科に所属していた。一見全く関わりが無い分野のようだが、柿埜さんは哲学と経済の関係を「地続きの存在」と評価した。

「『経済学の父』と呼ばれるアダム・スミスや貨幣数量説を大成させたデビッド・ヒュームといった経済学者は、哲学の分野でも大きな業績を挙げました。両者とも自由主義的な発想をもつ哲学者であり、人間の自由や多様性を抑圧すると社会が破綻するという人間社会の法則を明らかにしています。そうした思想の上に彼らの経済学が成り立っていることからもわかるように、経済と哲学には密接な関係があるのです」

人間は多様な存在であるという発想の自由主義に共感した柿埜さんは、学習院大学入学時の進路を哲学科へと定めた。学部時代はアイザイア・バーリンの多元主義の研究を進めるが、その一方で経済学にも挑戦した。そのきっかけとなったのは岩田規久男教授との出会いである。

「高校時代に学習院大学の方から岩田先生の紹介を受けました。経済学部の中でも大変厳しい講義で、最後までついてこられる学生は数人しかいないとのこと。先生の著書である「経済学を学ぶ」や「ゼロ金利の経済学」が大変面白かったこともあり、いつか岩田先生の講義を受けてみたいと思うようになりました」

2年次になり、晴れて岩田先生の講義を受講。厳しいと評判の講義に身構えるも、柿埜さんはそうした評価とは異なる感想を持った。

「先生は講義中に学生を指名し『これはどう思いますか?』と質問するんですが、当然勉強していなければ回答できません。間違っていたら怖い、という思いを抱く学生が多かったから厳しいという評判だったのだと思いますが、実際には関心がある学生じゃないと講義についていけないだけなんです。先生自身は大変気さくな方なんですよ」

周囲が尻込みする中、積極的な回答を繰り返した柿埜さんは、やがて「哲学科の人」と認識されるようになり、さらには「他の人はわからないから柿埜くんが答えて」と指名されるようになったという。

柿埜さんは、その後も岩田教授との親交を深め続ける。「もう十何年のお付き合いになりますが、今も一緒に研究させていただいています」というほど岩田教授を尊敬する背景には、自身がファンだという経済学者との共通点があるという。

「私は当時からアメリカの経済学者ミルトン・フリードマンのファンを公言していました。フリードマンの優れた点は、経済学の理論を現実の問題に応用し、解決に導くための道具として使った点にあります。岩田先生ご自身は特にフリードマンに関心を持たれてはいませんでしたが、経済学の理論を抽象的な形で終わらせず、現実の問題に落とし込む姿勢がフリードマンと実に良く似ているのです。「日本のフリードマン」という評価をする方もいますが、私も全く同感です」

こうして岩田教授の下で経済学を学んだ柿埜さん。さらに研究の道を歩むべく学習院大学大学院へと進学するが、そこではもうひとりの恩師からの学びが待っていた。

専門性の枠を超え、新たな学びを得る

柿埜さんと眞嶋史叙教授との出会いは、学部1年次にさかのぼる。「恐らく眞嶋先生が学習院大学に来られて初めての講義でした」という経済学部の講義に出席した柿埜さんは、そこで目の当たりにした眞嶋教授の研究姿勢に感銘を受けたという。

「オックスフォードを出られて、本場の経済史を研究されてきた先生です。経済学の知識や計量経済学などを掛け合わせた欧米の研究スタイルが刺激的で、夢中になって講義を受けていました。先生の講義は毎回レポートを書かせるスタイルなのですが、毎回最後まで残って一所懸命書いていましたね。そうこうしているうちに先生から目をかけていただけるようになり、哲学書や経済書の古典を学ぶ読書会にお誘いいただけるようになりました」

岩田教授の退任が近づいていたこともあり、修士課程では眞嶋教授の研究室に入った柿埜さん。ここでの2年間は刺激にあふれた毎日だったという。

「私は自由市場経済派ですが、眞嶋先生は学派にとらわれない自由な発想をお持ちです。多様な視点から『必ずしも自由市場はうまくいかないのでは』と問題提起をいただくこともありますが、さまざまな考え方を許容してくださる懐の深さを感じます」

その"懐の広さ"は、学習院大学の特徴でもある、と柿埜さんは語る。研究の道を選ぶ決意も、学習院ならではの環境が後押ししたという。

「学習院の素晴らしいところは、先生方が学生の成長を心から願ってくれている点にあります。研究においては主査・副査という役割はありますが、どの先生も所属研究室を問わず親身になって指導してくださいます。私自身、今も眞嶋先生をはじめ、宮川努先生、鈴木亘先生、神戸伸輔先生、乾友彦先生といった多くの先生方にお世話になっています。それに加えて、院生同士も仲が良く、研究について語り合える大切な友人に恵まれました。学習院の素晴らしい研究環境で学べたからこそ、私は研究者の道を歩むことができたと思っています」

最後に柿埜さんは自らのキャリアを振り返りながら、学習院での学びの意義について語った。

「学部生、院生時代の私はとにかく興味がある方向へ突き進む学生でした。哲学と経済の両方を学ぶつもりで学習院大学に入学しましたが、今振り返ってもどちらか一方だけを選ばなくてよかったと思っています」

「書籍だけでは経済学の体系を学びにくいように、専攻した分野の指導を受け、専門性を身につけるのは大切です。その一方で、ひとつの学問の常識に囚われないように外部からの風を入れるのも同じように大切。専門性の枠からはみ出るからこそ得られる学びもあります」

「もしチャレンジしたいことがいくつもあるなら、思い切って飛び込んでみましょう。他の学問に触れることは、決して難しいことではありません。そして、そうした枠を超えたチャレンジを認め支える環境が、学習院大学にはあります。”決まった枠に収まらないといけない”という意識を乗り越えたい方の挑戦を楽しみに待っています」

取材: 2023年9月27日
インタビュアー: 手塚 裕之
文: 手塚 裕之
撮影: 中川 容邦

身分・所属についてはインタビュー日における情報を
記事に反映しています。

取材:2023年9月27日/インタビュアー:手塚 裕之/文:手塚 裕之/撮影:中川 容邦

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