院生インタビュー 詳細

学習院の自由な校風が「やりぬく力」を育む

博士後期課程修了生
渡邉 翔 Shou Watanabe

直接投資の動向を紐解き日本経済の行く末を見る

学習院大学大学院経済学研究科博士課程を修了後、現在は淑徳大学コミュニティ政策学部で教鞭を振るう渡邉翔さん。修士課程時代から現在まで、一貫して対内直接投資の影響を研究し続けている。

「外資企業の参入が日本国内の生産性に与える影響を実証的に分析しようというのが私のテーマです。外資企業が参入するときには企業がそのままくるわけではなく、最初は営業所や工場、その後研究部門といった形で、段階を経ながら事業所へ直接投資を行います。投資先の事業所の役割によって国内企業に与える経済効果が異なることを研究しています」

対内直接投資は、海外企業による日本への投資である。経営ノウハウや技術、人材といった経営資源が流入することにより、国内企業の生産性向上や新たな雇用の創出、イノベーションの創出といった恩恵が生まれると考えられている。海外企業の参入により日本は多くのメリットを享受できると期待できるが、現状は諸外国に比べて低水準で推移しているという。

「政府は対内直接投資および対外直接投資に対して政策を進めています。対外直接投資残高のGDP比は2020年の段階で36.4%となっており、世界的に見ても平均値ほどの数値となっています。一方で対内直接投資は投資残高のGDP比で2020年に約5%程度しかありません。これはOECDの平均である57.5%に比べて著しく低い水準です」

ではなぜ日本の対内直接投資は海外諸国に比べて伸びないのか。渡邉さんは大きな要因に「ビジネスコストの高さ」を挙げ、特に2つの要素の影響を強く受けていると考える。

「一般的に文献で言われているのは法人税とコミュニケーションです。日本の法人税は諸外国に比べて税率が高いため、海外企業が参入を避けているといわれています。もうひとつのコミュニケーションは、特に英語が通じないという点が大きいと考えられています。日本人は英語を話せる人が少ないですからね。」

「また、これは私の考えですが、日本はライセンス契約が多いと言われています。日本人は国際的にも実直な国民性であると評価されており、約束を守ると思われているんですね。そのため海外の企業はお金がかかる直接投資を避け、ローコストで一定の収益が見込めるライセンス契約が多いのではないかと考えています。ただ、実際に他国に比べてライセンス契約が多いという検証が出来ているわけではないので、予想の範疇ではあります」

日本にとって対内直接投資の拡大は、国内経済の活性化の観点からも急務とされている。2022年5月に岸田首相がイギリスの金融街「シティ」において、海外投資家に「Invest in Kishida」と呼びかけたのも記憶に新しい。近年の対内直接投資は緩やかな増加の傾向を見せるが、諸外国の水準には及ばないのが現状である。渡邉さんの研究は、日本経済が硬直するひとつの要因を解きほぐす可能性を秘めている。

興味が赴くままに身を任せ、謎を紐解く研究の道へ

渡邉さんが学習院の学籍を得たのは中等科入学から。「受験をしたくなかったのでエスカレーターで上がりたかった」という渡邉さんは、母親の薦めもあり学習院中等科へ入学。伝統を重んじる中等科の教育を受けたのち高等科へ進み、趣味の動画制作に没頭する3年間を過ごした。

大学への進学を考える時期に差し掛かり、渡邉さんはひとつの悩みを抱える。自分は何がやりたいのか。将来どこにいきたいのか。そう悩む渡邉さんの運命を決めたのは、ひとりの先生からの言葉だった。

「政治経済の先生に『経済学は社会のことを研究できる学問だけれども、君が好きなアニメやゲームも経済学で測ることができるんだよ』といわれたんです。当時はアニメーション動画ばかり作っていましたので、好きなことをさらに突き詰められると思ったんです」

そうして経済学部への進学を果たした渡邉さんは、3年次に田中勝人教授のゼミで計量経済学を学ぶ傍ら、課外活動ではアニメーション研究会へ入会し動画制作を続けた。当時、学部卒業後は映像業界への入社を希望し、3年次には映像制作会社のインターンシップにも参加。しかし就職活動シーズンを迎えた渡邉さんは、映像業界への道を断念することとなった。

「有名なアニメ会社もいくつか受けたんですが、就活をしている中で『本当に自分がやりたい仕事なのか』と迷いが出てきたんです。これまでは自分が作りたい作品を好きなように作ってきましたが、仕事になると顧客が欲しいものを作ることになります。それが自分がやりたいことかと考えた時に、違うなと」

「また、インターン先の映像制作で実写作品を作ることも考えたのですが、全ての被写体に興味を持つのは無理だと感じていました。実際に撮影されたものを見ても善し悪しを判断できませんでしたので、実写のセンスはないと思い、映像の仕事は諦めました。」

こうして4年生の頭で進むべき道を失った渡邉さん。再び自分がやりたいことを自問自答した結果、研究への道が浮かび上がる。

「田中先生のゼミでは、学生を対象にしたアンケート調査の分析結果を基に発表をしていました。あまり学部では目的意識ははっきりとしていなかったのですが、仮説を証明するための調査と分析は面白いと感じていました。一方で、研究というには簡単な内容でしたので、徐々に物足りなさを感じるようになっていったんです。映像への進路はもうありませんでしたので、やるからには真剣に研究に取り組みたいと考え、大学院への進学を決めました」

学習院大学大学院経済研究科への入学を果たした渡邉さんは、西村淳一教授の研究室に入る。イノベーションの経済学を専門とする西村教授のもとで行う研究は対内直接投資。この後博士課程まで続く研究テーマに出会ったきっかけを、渡邉さんは次のように語った。

「当初は日本企業の成長の阻害要因について研究を始めましたが、早々に頓挫してしまいました。そんな時に、和田哲夫教授の講義で外資系企業についての話を聞きました。日本から海外に出るのは多いのに、海外から来るのはなぜ少ないのか。数々のデータを見せていただくたびに私の中の疑問がどんどん大きくなり、とにかくこの謎を解き明かしたいという思いが強くなっていったんです」

伝統と自由の共存。学習院で人間性を磨く

熱中できる研究テーマに巡り会った渡邉さんは、博士課程の修了まで研究に没頭する。修士修了で就職するという選択肢も考えられたが、渡邉さんは博士までやり抜いた理由を「中途半端に終わりたくなかった」と語った。

「何かひとつ最後まで成し遂げたいという思いが強くありました。映像制作のときも極めたいと思いながら途中で断念しているので、自分の代表的な成果を作り上げたかったと考えていました。博士号は絶対中途半端なものではありませんので、最後までやり抜こうと」

そうして渡邉さんは博士課程を修了し、今は淑徳大学で教鞭を振るう。紆余曲折を経てたどり着いた大学教員という職業を、渡邉さんは「自分の天職です」と語った。

「博士課程を終えた後の就職先は、研究員か教員しか選択肢がないと思っていました。自分がどちらの職業に就くのかイメージをしてみたのですが、研究員は国や研究所に与えられたプロジェクトに従って研究計画を立てなければならないので、自分がやりたい研究をできるわけではありません。結局は映像制作会社に入るのと働き方が変わらないんですよ」

「では教員はどうなのかというと、これが本当に楽しくて。教員になるためには教歴が必要なので、博士後期課程の最後の2年間は淑徳大学で非常勤講師をやらせてもらっていたのですが、学生に教えるのがとにかく楽しい時間でした。しかも自分が好きな研究もできるわけですから、もう迷う必要はありませんでした」

今は理想の職場で望む研究に取り組んでいるという渡邉さん。自らの目標に伸び伸びと邁進するその姿勢は、15年間に渡る学習院の生活で育まれたという。

「学習院は長い歴史を持ちながらも、常に新しいものを取り入れようという校風です。実は学習院出身の先生がほとんどおらず、外部から積極的に優秀な先生をお招きし、学生たちが最先端の学問を学べる環境を用意しています。この学生たちが自由に学べる機会を作ろうという姿勢は中等科から大学院まで一貫しているのが、学習院の素晴らしさだと思います」

さらに渡邉さんは、こうした学習院の環境が学生の成長を促しているという。

「学習院の校風は、自由であまり縛りがありません。だからこそ学生は自分で学び方を見定めなければならないので、考える力はとても養われると思います。また、内部進学者は中等科時代から伝統を叩き込まれるせいか、多くの学生が礼節を重んじています。外部生も自然と空気を感じ取ってか、同じように礼儀を身につけていきますね。学問だけでなく、人間としても成長する機会を与えられるのも学習院の魅力だと思います」

学習院で多くの学びを得た渡邉さんは、学生たちへの指導においても人間としての成長を重んじているという。これから先、若い学生に何を伝えていきたいのか。最後に渡邉さんは教員としての目標を掲げた。

「私は教員として学生を"教導"していくことが大切だと考えています。ただ教えて終わりではなく、彼らの人生をどのように支えていくか。いつの日か『あの先生にあんなこと言われたっけ』と思い出してくれるくらいでいいので、彼らの人生の道しるべになるような教えを伝えていきたいと思っています」

「そしていつか私が死んだ後に、学生が墓参りに来てくれるとうれしいですね。私の教えを覚えていてくれる、私の遺志を継いでくれるような学生が出てきてくれるような先生になれたらいいなと思っています」

取材: 2024年6月4日
インタビュアー: 手塚 裕之
文: 手塚 裕之

身分・所属についてはインタビュー日における情報を
記事に反映しています。

取材:2024年6月4日/インタビュアー:手塚 裕之/文:手塚 裕之

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