院生インタビュー 詳細

飽くなき知の探求が新たな政策の扉を開く

博士後期課程3年
富澤 克行 Katsuyuki Tomizawa

国際経済の潮流を見極める。「取引通貨選択」が示す世界経済の構造変化

財務省で国際局の要職を歴任し、パリのOECD(経済協力開発機構)、上海の日本国総領事館、シンガポールの国際協力銀行(JBIC)と、世界各地で国際経済の現場を渡り歩いてきた富澤さん。 現在は国際的なシンクタンクであるアジア開発銀行研究所に身を置きながら学習院大学大学院に在籍し、世界経済の構造を理解する上で極めて重要なテーマである「取引通貨の選択」をテーマに研究を進めている。

「国際的な貿易の中で、具体的に企業がどの取引通貨を選ぶのかを研究しています。今の世の中では米ドルが支配的で、例えば日本とインドネシアで取引をする場合であっても、直接関係していないアメリカの米ドルでの取引が中心です。この米ドルが支配的な影響力を持つ枠組みは『ダラー・ドミナンス・パラダイム』と呼ばれています」

一度米ドルが基軸通貨として定着すると、多くの企業がドルで決済するようになり、それがドルの利便性をさらに高めるというネットワーク効果が働く。その結果、自国の通貨よりもドル建てで決済する方がコストや手間を抑えられる状況が長らく続いてきた。富澤さんは、シンガポールを拠点にアジア各国の経済を検証する中で、こうした慣習が企業の行動に深く根付いていることを肌で感じてきたという。

しかし、この盤石に見える米ドル一強の時代に、静かながらも確実な変化の波が訪れていると富澤さんは指摘する。米中間の対立による世界経済の分断、資源価格の高騰を背景に発言力を増す新興国群「グローバルサウス」の台頭、そして国境を越える決済のあり方を根底から変える可能性を秘めたデジタル通貨の登場。これらが複雑に絡み合い、これまでの常識を覆すような地殻変動を引き起こす可能性があるという。

「時代が変わり、徐々に取引の建値通貨も変わってきているのではないか、という問題意識を持っています。貿易や投資、あるいはデジタル通貨のようなものが入ってくることで、いわゆる“ゲームチェンジ”が起きる可能性があるのです」

ゲームチェンジの行方を分析することは、単なる学術的な好奇心にとどまらない。それは日本の企業や政府が取るべき戦略を考える上で、極めて重要な示唆を与える。例えば、企業にとっては為替リスクの管理方法が大きく変わる可能性があり、政府にとっても円の国際的な役割を再び考える好機となるかもしれない。富澤さんの研究は、まさにこうした政策への影響を強く意識したものだ。

企業の取引データは機密性が高く、分析は容易ではない。しかし、富澤さんは国際経済の最前線で培われた鋭い視点とアカデミックなアプローチを融合させながら、この難問に挑もうとしている。

政策の現場で抱いた知の渇望。学術的探求がキャリアを支え、深化させる

輝かしいキャリアを歩む中で、再び学問の道を選び、博士課程に進む決意をした背景には、政策立案の最前線で感じた「知の渇望」があった。

その原点は、1997年に遡る。財務省で働き始めた直後、アジア通貨危機が勃発。タイ、インドネシア、韓国が危機に瀕する中、IMF(国際通貨基金)を担当する課で国際的な経済支援の渦中に身を置いた。

「国際金融の最前線で直接危機への対応にあたっていた当時の幹部から『役人は経済学をもっと勉強するべきだ』と言われ、私自身も仕事をする中で経済に関する知識が十分ではないことを痛感したんです。いつかしっかりと勉強する機会を得たいと強く思いました」

後にパリのOECDに勤務した際、思いはさらに強くなる。周りは修士号や博士号を持つのが当たり前のプロフェッショナルばかり。「学士号しか持たない自分が場違いだと感じていました」と当時を振り返る。そこで仕事の傍ら、イギリスの大学院が提供するパリのプログラムに通い修士号を取得するが、学びへの探求心が尽きることはなかった。

決定的な動機となったのは、2012年の日中金融協力に参加した経験だ。日本円と人民元の直接交換市場を創設するという画期的な取り組みに中心メンバーとして関わった。その中で学術的な裏付けの重要性を痛感したという。

「企業の取引の選択肢を増やすということは政策的に間違っていなかったと思いますし、結果的に両国関係に左右される部分もありましたが、一定の成果があったことは確かです。しかし、果たして取組みの進め方が学術的に本当に正しかったのかどうか、確信を持ちきれないまま手探りで進んだ面があります。時間をかけて深掘りすれば違うやり方があったのかもしれません。そこに学術的なアプローチが入っていれば、より確固たるものになったはずです。それ以来、根拠に基づいた政策を作るためには学問を究める必要があるとずっと思っていました」

その後、財務省のシンクタンクである財務総合政策研究所で各国のリサーチャーと協働する中で、学位を持つ彼らとの間に存在する「バックグラウンドの差」を意識するように。自身の知見をもう一段階上げたいという思いが、博士課程への挑戦へと繋がっていった。

挑戦の扉を開くきっかけとなったのが、現在の指導教員である清水順子教授との出会いだ。2017年、シンガポールで清水教授と出会い、研究テーマや問題意識が重なることから交流が始まった。帰国後、財務総合政策研究所で教授と再会した際に学習院大学大学院の社会人向けプログラムを紹介され、挑戦を決意した。

「人によっては『もう上がりだ』とリタイアを考える年齢かもしれません。しかし、私には学術的な裏付けを持った『何か』を残すことで後の世代に貢献したい、という思いがありました。また、ちょうど次男が大学に入るタイミングと重なっていたので『お互い頑張ろうよ』と励まし合えたことも背中を押してくれました」

仕事とプライベート。双方の動機が結実し、富澤さんの新たな挑戦が始まった。

多様な「知」が交錯する学習院で未来を切り拓く

国際社会の最前線を駆け抜けてきた富澤さんが、学究の世界に飛び込んで得た手応え。年齢や国籍、専門分野を超えた多様な「知」が交錯する、学習院大学大学院ならではの魅力があった。

「清水先生のゼミに入る時、自分の子供と同じくらいの学生さんと一緒にやって大丈夫だろうかという不安はありました。でも実際に一緒に勉強していると、彼らには彼らの視点がある。環境や年金など、私の専門とは違う分野を研究している学生の話を聞いていると、自分が知らないことがたくさん出てきます。日々の交流がこれほど刺激的なものだとはまったく予想していませんでした」

特に、多様な国籍の留学生との交流は、予期せぬ発見の連続だという。

「中国人の留学生から、私が知らないような中国の統計を教えてもらうことがあります。それを見て、清水先生と『これは面白いね』『私の研究でも使えないかな』といったように、研究の拡張性のヒントを学生さんからもらえるんです。同じ日本人ばかりでやっていたら、そうはならないだろうなっていう方向に話が行く。これは対面で交流しているからこそ生まれる化学反応だと思います」

こうした創造的な学びの場を支えているのが、教員陣の手厚いサポートだ。指導教員の清水教授は外資系金融機関であるモルガン・スタンレー等に勤務した経歴を持ち、政府や国際機関にはない民間のリアルな視点から示唆を与えてくれる。

「同じものを見ても、私だったら杓子定規に小さくまとまりそうなものを、先生は全然違う発想を持ってこられる。学生さんとの距離感も絶妙で、ゼミの雰囲気もすごくいい。もっと早く先生の話を聞いていたら、もっと早くから国際金融を勉強してみたいと思ったかもしれない、と思うような先生ですね」

また、他の教員からも、社会人院生ならではの事情に対する深い理解と配慮を感じるという。

「民間や様々な機関でのご経験を持つ先生方が大勢いらっしゃるおかげか、社会人の辛さや大変さを理解していただけているので、私も続けられています。普通の学生さんと同じように『この日までに絶対に』というのが続くと難しい場面もありますが、スケジュールを配慮していただくなど、いい意味でのフレキシビリティを先生方がお持ちなので、ここまで来られたのだと思います。第一線で活躍されている先生方と親身になって直接お話しできる機会があるのは、学習院の一番の魅力です」
富澤さん自身、まだ研究の道半ばとしながらも、確かな手応えを感じている。最後に、大学院進学を考える社会人に向けて、メッセージを送った。

「壁にぶち当たっている人にこそ、学習院大学をおすすめしたいですね。身の回りの上司や同僚から言われることだけでは、今の仕事で感じる殻を破れないという人がたくさんいると思うんです。そこにアカデミックな要素が加わると、違う次元に行けるかもしれない。もちろんお金も時間もかかりますし、何より今の職場の仲間や家族の理解がなければできないことではありますが、自分自身への投資だと思ってチャレンジしてみる価値はあるはずです」

「私自身、学習院大学に来てから進んでいる感覚を得られているのは間違いありません。この時間を過ごせていることは幸せだなと、心から思います。仕事にはどうしても『やらされている感』がありますが、大学院での研究は本当に『自分でやっている』という感覚が持てます。良い意味での息抜きになり、リフレッシュできる時間です。ここで得た学びが将来、政策を作るという部分と学術的な基礎の部分とでどこかでつながれば、一皮むけた一つ上のランクに行けるはずです。学習院は、そのきっかけをくれる場所だと感じています」

取材: 2025年10月1日
インタビュアー: 手塚 裕之
文: 手塚 裕之

身分・所属についてはインタビュー日における情報を
記事に反映しています。

取材:2025年10月1日/インタビュアー:手塚 裕之/文:手塚 裕之

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