教員インタビュー
インタビュー

渡邉 真理子教授

Mariko Watanabe

研究分野
応用ミクロ経済学(実証的産業組織論、法と経済、契約理論、企業行動と経済発展に関する実証)、中国その他発展途上国の企業、産業、経済の実態調査
プロフィール
1991年東京大学経済学部卒業、同年にアジア経済研究所へ入所。1996年より香港大学商学院へ入学し、1999年12月 M.Phil取得。2006年から3年間、訪問学者として北京大学光華管理学院に所属。帰国後の2011年に東京大学経済学研究科博士号を取得。2013年より現職。

実態調査と分析が紐解くアジアのビジネス発展の道

立ち上がっていく中国のエネルギーに触れて感じた学びの必要性

「事実を見ただけでは正確な分析ができない。しっかりとした理論の勉強が必要だと感じ、応用ミクロ経済学を学び始めたんです」

渡邉教授のキャリアは中国から始まった。鄧小平による「南巡講話」が発せられた1992年。改革・開放への第一歩を踏み出した中国経済のまっただ中に渡邉教授は立っていた。東京大学経済学部を卒業後、アジア経済研究所へ入所。「一番面白そうな国だった」と選択した担当国である中国に赴任し、現地の起業家たちの動向を注視していた。

今でこそ世界第2位の経済大国としての地位を確立した中国だが、当時はあらゆる産業が日本の後塵を拝していた。大量生産大量消費を得意としていた中国では、「世界の工場」としての姿を表しはじめていた。そして2000年代初頭、インターネットの発展と共に中国経済界にも新たな波がやってくることとなる。

「経産省が主催した会議の中に、まだ設立して3年ほどだったアリババ集団の創設者であるジャック・マーなど、若い起業家が紛れ込んでいました。また、当時の国家はイデオロギーを超えて経済成長を促進する態度をとっていたので、新しい人が新しいロジックで技術を発展させていける土壌がありました」

その後、中国は世界的に革新的な発展を続けるネット技術をいち早く取り込み、「中国にしかない」サービスを生み出すようになる。これは、国家の支援を受ける国有企業ではなく、起業したてかつ政治的にはとても脆弱な立場に追いやられている若い民営企業家たちが実現したものだった。モバイル端末の普及が進み、本格的な爆発を始めたインターネットから生まれた数々のデジタル技術。そのいくつかの特性が、政治的に弱い立場にあった若い企業たちを守り育てたのは2010年代のことだった。その後、国家主導による「デジタルチャイナ(数字中国)」が推し進められ、デジタル大国へと成長を遂げた様子は、日本でも広く知られるようになっている。

その傍らで、渡邉教授は中国経済の実態を調査し、そこで起きているメカニズムを考察。実態調査の中で直面する問題から、理論を身につける必要性を痛感したという。

「事実を見ただけでは正しい分析ができないと感じるようになりました。仮説がなければ、どんなロジックも成立してしまうのです。当時は実態調査と分析は別の人が行う風潮があったのですが、理論を前提とした知識を身につけておかなければ、実態調査も十分に行えないと痛感したんです。私には学部の先にある学びが必要でした」

そうして渡邉教授は1999年に香港大学商学院にて修士課程を修了。2011年にという東京大学経済学研究科にて博士課程を修め、学位を取得した。博士論文は、契約理論の実証論文の執筆を行ったが、学習過程で学んだ実証産業組織論の可能性に魅せられ、その後の方向性が決まっていった。

インプットとアウトプット。大学院は人生に必要なスキルを学ぶ場所

現在、学習院大学において「応用ミクロ経済学、中国その他発展途上国の企業、産業、経済の実態調査」をテーマに研究を進める渡邉教授。大学院においては、自身の学びから得た「実態調査を経た分析」の重要性を説き、院生にも同様の研究過程を課している。

「決めたテーマに対するデータとファクトはしっかりと取ってくるように指導しています。新聞や雑誌の記事から表面的な情報を集めるだけでなく、どのような仕組みで動いているか、何のために存在しているのかといった背景を理解するのも大切。時には生産者や技術者に直接話を聞くことも大切です」

渡邉教授による「実態調査を経た分析」の指導を受けた院生は、どのような研究を行っているのだろうか。渡邉教授は、実際に行われた2例を紹介した。

「ひとつめは、わたしが副指導教官だった学生の研究です。中国のスマートフォンメーカーのビジネスモデル比較をしたい、ということで研究が始まりました。技術的にはちょうど4Gが出始めた頃。中国ではアリペイなどのモバイル決済が急速な広がりを見せていました。彼には『サービスを消費者と供給者の視点で考え、それぞれどんな動きをしているか理解しよう』というテーマを与えました。消費者側の動きは自身の経験から想像ができますが、供給側はまず『スマートフォンとは何か』という原点に立ち戻り、使われている技術や部品、構造についての理解を深める必要がありました。

構造が見えてくると、基板の上には何を行うためのどんな部品があるかがわかってきます。そしてそれぞれの部品はひとつの企業が作っているのか、分業しているのか。そうしたビジネス上の構造まで理解できるよう、彼はニュースやメディアのリサーチに留まらず、企業や技術者が発表するレポートの検証、さらには技術者本人へのインタビューも行い、徹底的に調べ尽くしました。スマートフォンの成り立ちから理解できた彼は、細部までしっかりと納得した研究を行ってくれました」

「もうひとつは、PCゲーム向けプラットフォーム『Steam』の研究です。彼はゲームが大好きで、プラットフォーム上に展開されたゲームタイトルのビジネス戦略を研究テーマとしていました。Steamというプラットフォームでは、毎日何人が特定のゲームタイトルをプレイし、どのようなアイテムを購入しているかといったデータが公表されています。彼は毎日それらのデータのスクリーンショットを撮影し、ひとつのデータベースを構築していました。

データを通してみると、イベントによる売上向上や、広告による集客効果といったビジネス上のインパクトが見えてきます。また多くのプレイヤーが集まることでプラットフォームに与える効果をネットワーク効果の観点から分析し、マネジメントの評価を行うといった研究も行いました。非常に手間のかかるデータ集めが必要でしたが、その甲斐もあって重厚な研究になったと思います」

渡邉教授は自身の研究を鑑み、院生にはあるテーマを与えているという。

「私自身、自分の研究では経済学をベースに、収集したデータを分析することが前提です。そのため院生にも<ミクロ経済学><計量経済学><企業の戦略を表現しているデータの収集>の3点を意識した研究を行うように指導しています。ただし、修士課程の場合は、2年間で全てをカバーするのは大変ですので、どれかひとつでもいいから取り入れてね、という形のアプローチで学んでもらっています。

私が院生への指導で重視しているのは『アウトプットの訓練』です。学部では講義によるインプットは行われますが、アウトプットの機会はほとんどありません。大学院で求められるのは、インプットした情報をいかに整理し、どのようなアウトプットをするか。それが大学を卒業したときに習得しておくべきスキルだと思います。今後AIの進化が進み労働が代替されるようになっても、自分で考え答えを導き出す能力があれば、人間は比較優位を保てます。大学院は特殊な訓練をするための場所ではなく、人生に必要なスキルを身につける場所なのです」

発展著しい新興国ビジネスを学ぶ、世界に通じるビジネスマンの育成へ

渡邉教授は自身の研究を背景に、日本経済におけるデジタル化の遅れに警鐘を鳴らす。過去において、先進国の経済成長を支えるのは、果敢に新しい技術と産業を興し、成熟化した産業は、あとに続く新興国にゆだねていく開拓者の姿勢だった。

こうした先進国と新興国の間での産業の移り変わりを示すグラフは、ちょうど雁が並んで飛行する姿にそっくりで、これが「雁行形態論」と呼ばれた。しかし、デジタル技術の取り込み方は、既存の取引関係などのしがらみの少ない中国やアジア新興国のほうがより積極的で効果的になっている。デジタル化技術が浸透する世界では、「破壊的イノベーション」と呼ばれる戦略の効果がより強く出ているように見える。

「デジタルチャイナにより中国がIT大国となっただけでなく、アジアの新興国からも画期的なプラットフォームビジネスが誕生しています。インドネシアの『GOJEK(ゴジェック)』、シンガポールの『Grab(グラブ)』がその代表であり、すでに国内のみならずインターナショナルに展開しています。

これらのグローバルなプラットフォームの誕生は、単なるITサービスの拡大を意味するものではありません。いわばアリババの代わりになれるようなビジネスがインドやインドネシア、タイやマレーシアなど、日本以外のアジアで続々と誕生しているということ。残念ながら、日本からはそうしたグローバルな戦略を持つプラットフォームは誕生していません」

渡邉教授には、その遅れを肌で感じる出来事があった。自身が2018年から中国の企業と提携し行ったシェアリングモバイルバッテリーの実証実験だ。渡邉教授が実験の実施に最もハードルを感じたのは、中国ではスーパーアプリと呼ばれる誰が利用しているモバイルペイメントサービスの不在という点だという。

日本のIT遅れの最大の理由は、先進国であるがゆえに、既存の技術を取り替えることのコストが新興国に比べて高いことにある。これを克服するには、政府による総合的な舵取りがあれば効果的であり、先進国こそそうした調整が必要になる。一方、中国や東南アジアでは、企業がより俯瞰的な戦略を打ち立て、みずから産業構造を転換させることを主導していた。そして新しい技術を導入する企業が企業群に成長しイノベーションに取り組むようになったとき、経済の構造転換は大きく動き出していた。

「ペイメントサービスの話にも繋がりますが、日本は新興国の戦略を学び直した方がいい時代に来ています。私が学部で担当している授業のひとつ『新興国企業論』ではキャッチアップしてくる経済を定義し、あとから追いかける経済の企業がどのような戦略で競争に臨んだのか、デジタルをどう使っているのか、そして先進国に追いつくために何をしているのか、について、なるべく理論的な整理を心がけながら、紹介しています。アリババやテンセントに代表されるように、プラットフォームビジネスにおいてはアジアの企業が大きくリードしています。ぜひ日本の起業家の方は、新興国のビジネスを学び直して欲しいと思っています」

社会人の学び直し。そしてビジネスの第一線で活躍する人材の育成に向け、渡邉教授は大学院の活用を訴える。

「残念ながら日本において、大学院に進学することは、どこか<はずれ>のような印象を持たれてしまっています。社会に出て役に立つのは、学びを整理してアウトプットする技術です。これから先の人生を、入社した組織に全く委ねて漂っていくのではなく、自分自身で自分の人生をコントロールして生きていくためにも、自分でプランした研究を修士論文にまとめる経験をしておくべきでしょう」

「こうした経験は、ぜひ一度社会に出た方こそして欲しいとも考えています。これからの日本は、海外相手のビジネス、特にアジアの新興国を対象としたビジネス比率が高まっていきます。見たこともない、聞いたこともない相手や技術とどう向き合うか。それには、いちど大学院の抽象的な訓練を受けておくことは効果的です。そうした相手を理解し、日本国内のビジネスに繋げるには、実態を調べ、次のビジネスに繋げるビジョンを構築する能力が必要です」

「学習院大学は決して大きな規模の大学院ではありませんが、それだけに教授との距離が近く、インプットとアウトプットの繰り返しにはうってつけの環境であるといえます。『大学院で学ぶぞ』と肩肘張る必要はなく、気負わずに自分が求める研究に打ち込める環境であると自負しています。ビジネスの第一線で戦うだけの知識と能力を求めるならぜひ学習院の門を叩いてください。日本の未来を築く社会人への成長のために私を使い倒してくれる人と会えるのを楽しみにしています」

取材: 2022年6月15日
インタビュアー・文: 手塚 裕之
撮影: 中川 容邦

身分・所属についてはインタビュー日における情報を
記事に反映しています。

取材:2022年6月15日/インタビュアー・文:手塚 裕之/撮影:中川 容邦

身分・所属についてはインタビュー日における情報を記事に反映しています。