教員インタビュー
インタビュー

清水 順子教授

Junko Shimizu

研究分野
国際金融論、外国為替
プロフィール
1982年、一橋大学経済学部卒業。同年にチェース・マンハッタン銀行(現JPモルガン・チェース)に入行し、その後は日本興業銀行、バンク・オブ・アメリカ、モルガン・スタンレー銀行などに勤務。2004年に一橋大学大学院商学研究科博士課程を修了。一橋大学大学院商学研究科助手、明海大学経済学部准教授、専修大学商学部准教授を歴任し、2012年より現職。

実務と学問の融合が導く国際金融のこれから

キャリアチェンジが教えてくれた学ぶ喜び

「社会人を経て大学院に入り直した時、初めて『勉強って面白いな』と思ったんです」

子育てを機に退職後、40歳で大学院へ入学した清水教授は、当時をこう振り返った。一橋大学経済学部を卒業後、チェース・マンハッタン銀行(現JPモルガン・チェース)へ入行。日本興業銀行、バンク・オブ・アメリカ、モルガン・スタンレー銀行と渡り歩く中、日本とロンドンから世界のマーケットへ身を投じていた。

20代30代を為替の世界に捧げた清水教授だが、その後大きなキャリアの転機が訪れる。多くの女性がキャリアの選択を迫られる人生の一大イベント。そう、出産である。当時ロンドンで勤務していた清水教授は、あらゆる制度やサービスを活用しながら子育てと仕事を両立させる道を模索した。しかし日本に戻った後に2人目が生まれたことをきっかけに、退職して子育てに専念する道を選んだ。

「ロンドンでは子育てを任せる人を雇うという選択肢がありましたが、当時の日本にはロンドンで利用していたほどの託児サービスが存在していません。しばらくは両親に頼っていたものの、それも早くに限界を迎えてしまったので、一度仕事から離れ子育てに専念する道を選びました」

世界経済の最前線から一般家庭での育児へ。180度方向が異なるといっても過言ではないキャリアの選択をした清水教授は、ここでさらに新しい道を選択する。

「私自身の人生もまだまだ先が長いので、これからどうしようかと考えた時期がありました。その時期に、ふと『今まで貯めたお金を少し自分に投資してもいいんじゃないか』という考えを思いついたんです。せっかくなら今までの仕事と繋がる学びをしたいと思い、大学院への進学を決めました」

そうして選んだのは母校である一橋大学大学院の商学研究科。はじめは育児の合間にできる学びとして選択した大学院生活だったが、やがて学問にのめり込むことに。

「仕事上で聞いていた話に理論を当てはめることで、なぜこの現象が起きたのかという疑問がひとつひとつ明らかになっていきました。当たり前だと思っていた事象の裏側にある様々な因果関係を知るうちに、自分がやってきた仕事の意味が明確になるのを感じるようになったんです。大学院に入学したのは40歳の時でしたが、まさか自分にとって勉強がこれほど楽しいものになるとは思いませんでした」

学びの喜びを知った清水教授は無我夢中で研究を続け、気がつけば一橋大学大学院商学研究科の博士課程を修了。そのまま同研究科の助手に就任した。「当初はこんなに勉強を続けるとは考えておらず、ましてや47歳で大学の先生になるとは夢にも思っていませんでした」と語る清水教授。さらには2000年頃から国が推進する男女共同参画基本計画に後押しされるように、女性研究者である清水教授はさまざまな審議会に出席を求められるようになった。

「当時は経済を学ぶ女性が非常に少なかったため、駆け出しの私にも声がかかりました。今でこそジェンダーの議論が活発ですが、当時から女性の社会進出のために審議委員などの役職を与えていただいたのはとてもありがたかったですね。『政府はこうやって物事を決めていくんだ』と、他ではできない経験と勉強をさせてもらえたと思っています」

時流に乗りチャンスを手にした清水教授は、この当時をこう振り返る。

「政府の審議会に参加する機会に恵まれた結果、一生ものになる多くの出会いを得るチャンスをいただきました。隣の席に座った誰もが知るような著名な先生と交流する経験は、銀行勤めを続けていたらできなかったかもしれません。

近年では、銀行員時代にお会いした企業の方と研究者として再会する機会が増えています。当時はお互いに一行員でしたが、久しぶりにお会いしたら財務部長になっていることも。今自分が研究者として活動できているのも、これまでのキャリアの中でひとつも捨てるものが無かったからだと思っています」

為替を知り、世界の動きを知る

国内外の銀行で為替のプロとしてキャリアを積んだ清水教授は、研究者となった今も「国際金融」「外国為替」を研究テーマに据える。

「日本は最も為替が変動する先進国のひとつです。国内企業は日々為替の影響を受けながら企業活動をしています。私の研究室では、為替の変動が日本企業や経済にどのような影響を与えるのか、その影響を少なくするためには何が必要なのかといった点を、実務的な視点をメインに研究しています」

近年ニュースを騒がせている歴史的な円安に関する動向は、まさに清水教授の専門分野だ。2014年12月頃、安倍政権が打ち出した経済政策「アベノミクス」により、円が80円から120円まで急落した。当時も毎日のように円安進行がニュースで報じられていたが、清水教授は自身の著書「悪い円安良い円安」の中で、現在の円安は「悪い円安」であると警鐘を鳴らす。

「アベノミクスで大きく円安が進んだ2013年は、同時に原油価格は下落傾向にありました。そのためガソリンの価格が高騰することもなく、円安による危機感を煽るような報道もありませんでした。

しかし今回はロシア・ウクライナ危機の影響もあり、地政学的リスクによる原油価格の高騰が発生してしまいました。そこに追い打ちをかけるように円安が進行したことで、ガソリン価格は1Lあたり200円という時代を迎えています。また原油価格に連動して電気代が上がるため、国内ではあらゆる値上げが進行しいてるのです」

また、円安が物価高に繋がる要因として、清水教授は企業間取引の大半がドル建てで行われている点を指摘する。貿易建値通貨(インボイス通貨)を円に設定すれば、円安による価格上昇は短期的には発生しない。しかし、現状マイナス金利が続く円の国際競争力は低く、円を受け取りたがる貿易先企業は多いとは言えない。

「円建ての交渉を相手企業が受けてくれるかどうかは、企業の交渉力が重要なポイントになります。しかし相手が円を保有することに魅力を感じないとすれば、どれだけ交渉しても金利が高いドルが選好される傾向にあります。

インボイス通貨として円を選択してもらえるかは、国の金融政策にも大きく影響されます。現在のような金融緩和政策が続くようなら、円はあまり受け取りたくないという話が増えかねません」

さらに円建て取引を鈍化させる理由に、中国元の台頭も挙げられる。経済成長著しい中国は、今や日本にとって最大の貿易相手国に数えられるほど強い影響力を持つようになった。中国が生産国、輸出国として力を持った結果、ドル建てに統一する必要性が薄れてきているという。

「今や中国で作った商品はアメリカに輸出せず、アメリカ用のものはアメリカで作り、中国で作ったものは中国国内や近隣アジアへ輸出するケースが増えています。そうなると中国の現地法人はドル建てにする必要が無くなり、元建てを主張するようになっています」

各国の税関データによれば、元建てだけでなくバーツ建てやルーブル建て、ルピー建てなどさまざまな新興国通貨が使用されるようになってきた。インボイス通貨におけるドル一強から、元をはじめとした多様な通貨建てが用いられるようになった今、円のステイタスをどのように維持していくのか。清水教授は研究者としてこの時代の変化に興味を示している。

「ドル建て中心から変わりません、元は国際通貨には使えないと言われていた時代がありましたが、今は少しずつ変化を見せています。貿易建値通貨の専門家として、今は本当に面白い時代になってきましたね」

人生の扉を開く学び直しのチャンス

現在進行形で変化を続ける国際金融の世界。自身が身を置いていた実務と地続きの学問であるからこそ、清水教授は「社会人の学び直し」の重要性を主張する。

「大学を卒業する頃には気がついていませんでしたが、勉強は本当に楽しい。銀行勤めを経て40歳で大学院に入ったからこそ、実務と学問がリンクする感覚を味わうことができました。

今の時代は学費も高騰していますから、一度社会に出てから自分で稼いだお金で学びの時間を得るのもいいでしょう。会社員として働きながらリスキリングを目指す方や、退職後の学び直しをしたい方など、大学院はいろいろな幅広い年代の方におすすめしたいと思っています」

現に清水教授の研究室に所属する博士課程の2名は、現役で財務省に勤務しながら研究を続けている。職種も研究職である彼らはどのようにして官僚としての仕事と大学院生の生活を両立させているのか。清水教授は学習院大学の研究室の特性にその答えがあるという。

「学習院大学の大学院は、決して人数が多いわけではありません。それだけに院生の論文指導をオンラインや夜間に行うなど、柔軟な対応をできる環境を整えやすいのです。学習院大学がある目白駅から近い場所に勤め先があるなら、半日休みをとって講義を受けにこられるでしょう。最近は社員のリスキリングを推奨する企業も増えていますので、制度を活用しながら大学院で学ぶ選択をしていただきたいですね」

さらに清水教授は、社会人の学び直しに学習院がふさわしい理由として「高レベル研究者との濃密な関係」を挙げる。

「学習院大学の研究者は非常に優秀な方が多く、経済学研究科は国内屈指の環境であると考えています。若手も含めて皆さん常にご自身の研究テーマに向き合っておられますので、院生として学ぶことは大きいのではないでしょうか。

また、規模が大きくない研究科であるからこそ、教授と院生の関係が自然に緊密なものになっていきます。担当教員からじっくりと指導を受けられるだけでなく、院生の希望をかなえるために複数の教授が惜しみなく指導の時間を設けています。端的に表現するなら<面倒見がいい大学院>といえるのではないでしょうか」

清水教授は最後に自身の経験を踏まえ、改めて社会人の学び直しを呼びかけた。

「一度社会に出た人だからこそ、勉強することの価値を強く認識できると思うんです。私が40歳で学ぶ喜びを知ったように、多くの社会人に大学院に進む選択肢を知ってほしいと思います。

きっかけは仕事に役立つ知識を身につけるためでも、かつて挫折した勉強への再挑戦でもいいでしょう。これから何十年も続く人生の中で新しい扉を開けるチャンスを、ぜひ学習院の大学院で掴んでほしいと思います」

取材: 2023年9月19日
インタビュアー・文: 手塚 裕之

身分・所属についてはインタビュー日における情報を
記事に反映しています。

取材:2023年9月19日/インタビュアー・文:手塚 裕之

身分・所属についてはインタビュー日における情報を記事に反映しています。