中田 有美(なかた ゆみ)
東京都子供政策連携室 企画調整部 企画調整課
統括課長代理(企画調整担当)
PROFILE
2002年経済学部経済学科卒業。2003年、東京都入都(主税局新宿都税事務所)。2010年より交通局(人事部人事課)、2015年、主税局(荒川都税事務所総務課相談広報)、2018年(公財)東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会を経て、2022年より子供政策連携室(子供政策連携推進部事業推進課)に従事している。
中田 有美(なかた ゆみ)
学習院大学経済学部を受験されようと思ったきっかけは何ですか?

大学に進学するとなった時に、興味のある学問、分野を突き詰めることも大事だとは思っていつつ、これまで触れてこなかった分野にある意味、強制的に自分から入っていくことで、とことん学ぶのも良いかなと思いました。文系の私が受験できる範囲で、でも、まったく分からない学問はなんだろうと突き詰めた結果、行きついたのが経済学でした。なので、「やってみよう」と思った次第です。ただ、入ってからは本当に大変でした。私は数学が苦手だったのですが、経済学は数学が必須、というのが入ってから分かり、青ざめました(笑)。同級生からは「経済学に数学は必須なのは当たり前でしょう」と呆れられましたが、優しい同級生たちでしたので教えてもらいながら、それはもう必死になって勉強しましたね。

現在のお仕事についてお聞かせいただけますでしょうか?

私はいま東京都庁の子供政策連携室の企画調整部という部署で、「育業」の理念の普及に取り組む仕事をしています。少し詳しくお話をしますと、「育児休業」という言葉は「休」という文字が入っているので、どうしても「休み」と捉えられてしまいがちです。このため、令和4年に「育児休業」の「休む」というイメージを一新する愛称を募集し、8,825件の応募から愛称「育業」を発表しました。「育児」は「休み」ではなくて「大切な仕事」なのだと考える愛称「育業」の理念を浸透させ、多様な主体と連携しながら「育業」を社会全体で応援する気運醸成に取り組んでいます。

東京都のお仕事に就かれた動機やきっかけをお聞かせていただけますか?

学生時代は損保系の企業への就職を考えていました。経済学部出身であれば銀行や損保のような金融系で働くべきなのかな?と漠然と思っていました。また、在籍していたゼミの先生(宮川努教授)も銀行出身でいらっしゃったこともあり、金融系が普通だろうと考えていました。しかし、金融系への就職活動でいろいろな企業に触れたり、就職に向けて自己分析をしたりしているうちに、「やりたいと思うことも、やりたくないと思うことも、どちらも実は単なる思い込みなのではないか?」と考えるようになりました。「やりたい」と思っている仕事も「やりたくない」と思っている仕事も、どちらもまだ実際にやってもいない仕事です。それなのになぜ私は「やりたい」と「やりたくない」に分けているのだろう、と。そして、自分が「やりたくない」と思い込んでいる仕事って何なのだろうと考えた時に出てきたのが『公務員』というワードだったのです。やってもいないのに「やりたくない仕事」と決めるつけるのも随分な話だと思い、「じゃあやってみよう!」と地方公務員の試験を受けました。その結果、公務員としてとてもやりがいあるお仕事をさせていただいています。

いま、都庁のお仕事についてどう感じられていますか?

都庁の仕事というのは本当に分野が多岐に渡る仕事です。最初に配属されたのは税金の部署でしたが、都営地下鉄や都営バスなどの交通の部署を経験し、東京オリンピック・パラリンピック組織委員会への派遣を経て、現在の子供政策連携室にいます。それぞれ仕事の内容や性質は全然異なり、都庁という同じ組織でありながら、「違う会社に就職したのか」と思うぐらい異なります。このため、異動の都度、仕事内容のあまりの変わり具合に、都庁の仕事の大きさというものを感じています。

 部署が変わるたびに転職をしているような感覚があるので、慣れるまでは大変ではありますが、新しい部署に行くと思いもよらない経験が出来ることがあります。先ほどの育児休業の愛称募集の施策を例にしますと、インターネットやSNSを活用して全国から広く愛称を募集しようと取り組み、その結果、8,825件と多くの応募をいただくことができました。ここまで反響があるとは正直思っていなかったので、その関心の高さにとても驚きました。これまでに配属された部署ではインターネットやSNSを活用した事業は担当していなかったので、新しい経験でした。

※「育業」東京都は2022年に「育児休業」の「休む」というイメージを一新する愛称の募集を実施。理念の普及・啓発に子供政策連携室だけではなく、庁内の各局、理念に賛同してくださるさまざまな企業、団体のみなさまと連携して取組を行っている。

学生時代に印象に残る出来事についてお話しいただけますか?

大学生活自体は割と普通で、授業に出て、バイトをして、バイト仲間と遊びに行って、という生活でした。そのような生活だったのですが、学習院大学のプログラムで「GONGOVAという国際協力プログラムに2年時に参加しました。海外の熱帯季節林内集落生活の改善、教育支援、経済活動の支援、などをおこなっているプログラムです。私はタイに行ったのですが、その時は現地の方の経済支援となるような「換金できる植物の苗木を植えるための山面の整地」という活動でした。本当になにもない荒地を整地するのですが、機械もなく、人力で行うという活動を1カ月行いました。しかしながら、私は途中で日光アレルギーを発症してしまい、私の活動は日が昇りきる前の午前中のみとなりました。フルで参加出来ないもどかしさがあったのですが、なにかやれることはないかと探し、午後からは日陰でメンバーの洗濯などバックアップとなるサポートを行いました。当時のメンバーに頻繁に会うことできませんが、SNSやネットを通じてそれぞれの状況を伝えるなど今でも交流があります。

※「GONGOVA」1997年から2011年まで学習院大学で運営されていた学習院海外協力研修プログラム

学習院大学経済学部の魅力について教えてください。

都心のキャンパスですべての学年が同じ学び舎にいることは大きな魅力だと思います。学年によって使う校舎が異なると少し縦の学年間の交流が難しくなるところがあると思いますが、学習院大学は目白キャンパスだけでしたので、その辺りの交流が多いのではないかと感じます。良い意味でこじんまりとした大学なので、社会に出てから同じ母校の方に出会うと、年代が違っても一気に距離感が縮まることが多いです。 

あとは先生方との距離がとても近いです。授業やテストでわからないことがあると研究室を訪ね、質問して回っていました。みなさんお忙しいはずなのですが、いつも本当に気さくに丁寧に質問を受け入れていただき、たくさん教えていただきました。一般的に教授と言うと少しとっつきにくそうなイメージがあったりすると思いますが、学習院大学の先生方はいつも学生を受け入れてくださっている、という印象があります。

私は実は病気などもあり大学を卒業して1年経ってから都庁を受けたのですが、すぐに就職が出来なかったときも落ち込まずにいられました。先生や学生課の方々がとても親身に手厚くフォローしてくださったおかげだと思っています。

これから学習院大学を目指す方や在学生の方に向けてメッセージをお願いします。

やりたいことを突き詰めるということも一つのやり方だとは思いますが、思ってもないことに敢えて取り組んでみる、というやり方もありだと思います。意外とやってみたら想定していない収穫があるかもしれません。敢えて取り組むというのは、自分の幅を広げる一つのやり方でもあると思います。やってみた結果として「合わなかったな、うまくいかなかったな」ということがあってもそれはそれ、「失敗してしまった」という結果だけに目を向けるのでなく、一つの糧にすればいいと私は思います。そこから何を学ぶか?そこから何を得るか?が大事で、その経験を持って次に進んでいくというのもありではないかと思います。学習院大学は、そのような私のやり方もバックアップしてくれた大学で、おかげさまで4年間充実して過ごせました。在学生もこれから受験される方も、存分に学習院大学を信じて、自分を突き詰めて進んでいっていただければと思います。

本取材は2023年10月に実施、プロフィールは掲載時点(2024年5月)のものです。

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