2017年: 東京大学大学院 経済学研究科 博士後期課程修了(博士(経済学))
明治学院大学 法と経営学研究所 研究員を経て
2018年:学習院大学 経済学部 准教授
2024年:学習院大学 経済学部 教授
なおフンボルト大学(2014年10月~2015年3月)及びルートヴィヒ・マクシミリアン大学(2015年4~9月)において客員研究員。
企業家史、経営史、ユダヤ史
(欧米の市民社会とユダヤ人の企業家精神に関する歴史研究)
経営史学会、社会経済史学会、政治経済学・経済史学会、企業家研究フォーラム、日本ユダヤ学会
学生の皆さんには「経営史」の講義や演習を通して、これから社会で生きていくうえで指針となるような「哲学」を見出していってもらいたいと考えています。せっかく経済学部に進学したのですから、経営学の科目では、企業や銀行の経営に関する技能や戦略的な見方を身に着けたいと思う方が多いのではないかと思います。しかしいくら経営に役立つ技能を身につけ、ライバル企業を負かす戦略を構築できるようになったとしても、それだけではあまり意味がありません。長期的な視野に立って企業や銀行の進むべき方向を確定できなければ、高度な技能があっても宝の持ち腐れになり、ライバルの意表を突くような戦略は市場をざわつかせるだけの喧嘩の道具にしかなりません。そうした状況に陥らないように皆さんに関心を持ってもらいたいのが、「経営史」や「経済史」といった歴史研究になるわけです。私たち人間が積み重ねてきた歴史を振り返ることには、大きな意義があります。歴史の流れをできるだけ正確に捉えようとすることで、物事が現在の状態に至る過程が明らかになるだけでなく、人々が歩んでいくべき方向も自然と見えてくるのです。歴史を丁寧に辿っていけば、短期的には逆行するような 事例や現象がいくつかあったとしても、長い時間軸で見ることで何か歴史の中に大きな時代の流れが存在することに気付くことでしょう。「経営史」の講義や演習を通して、皆さんにはそうした時代の流れをできる限り正確に読み解けるようになってもらいたいと思います。そのうえで皆さんには、実は自分自身もそのような時代の流れの一部を為しているということを自覚してもらい、これからの社会の発展に積極的に貢献する人間へ成長していってもらいたいと考えています。
18~19世紀のドイツ、特にベルリンで宗教的なマイノリティのユダヤ教徒が、どのようにビジネスを展開してきたかについて研究を進めてきました。現在に至るまで1000 年以上もの間、ドイツではキリスト教が社会の基盤を為してきました。とりわけ中世後期から18世紀までのヨーロッパでは、例えば同業組合が宗教的な信仰に基づいて組織されていたように、多くの人々が信じていたキリスト教によって経済活動が支えられていました。もちろんこの時代のヨーロッパでは、ユダヤ教徒も自分たちが信じる宗教に基づいて同業組合を組織することがあり、経済的な利益をめぐってユダヤ教徒とキリスト教徒は対立することになりました。そのため、キリスト教徒から異端な宗教の信者と見なされ、政治的に差別されていたユダヤ教徒は、地域の支配者から職業や進出できる市場を厳しく制限され、ビジネスを行ううえで非常に不利な立場に置かれることになりました。それにも関わらず、そうしたユダヤ社会から18~19世紀に多くの企業家や銀行家が生まれ、キリスト教徒を上回らんばかりの経済的な活躍を見せるようになりました。確かにこうしたユダヤ教徒の活躍は、多くの場合、ユダヤ教の思想やその教義に従った生活習慣などが要因であると、彼らの信仰や生活文化を厳しく批判する反ユダヤ主義的な書物や自己啓発を目的とした本などで説明されてきました。しかしそうしたものには、ユダヤ教徒がなぜ経済的に活躍できたかを、誰もが納得できる具体的な根拠を示して説明しているものがほとんどありませんでした。そこで経営史家の立場から、より学問的にユダヤ教徒の経済的な活躍を説明できないかと挑戦してきたのが、私の研究になります。これは現在も進行中の研究になるわけですが、講義や演習などを通して、すでに研究で明らかにしてきたことは当然のこと、新たな研究成果を得ることができた際には、そうした成果も積極的に皆さんに還元していきたいと考えています。関心のある方は、ぜひ楽しみにしていてください。
身の丈に合わない大きな野望を抱いて生きていると、人生はなかなか思い通りには進まないものです。しかしそうした夢や希望を妨げる障害や困難を一つ一つ取り除いていくと、その過程で今までできなかったような経験を積めたり、新たな視点や考え方に気付かされたりすることが多々あります。自分自身の将来を決めつけず、理想を高く持って、互いに切磋琢磨していきま しょう。