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【開学75周年企画】あのころ ― 第2回「女子学生と社会 」

桑尾 光太郎 (学習院アーカイブズ)

2024.05.15

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令和6(2024)年、学習院大学は開学75周年を迎えます。
「あのころ」は、学習院大学の歴史を通して戦後日本の高等教育の一端を振り返るコラムです。

 前回、1960年代に大学の女子学生が急増した様子を紹介しましたが、以降キャンパスの女子学生は当たり前の風景となります。60年代後半にはよく知られるように全国の大学で紛争が発生し、学習院大学でも1969(昭和44)年から70年代初頭にかけて、ストライキや文学部長室占拠、学生同士の武力衝突などが起こりました。

 キャンパス内では集会やデモが日常的に行われ、活動に参加する女子学生も珍しくありませんでした。『読売新聞』(1970625日)は、学習院大学法学部の一人の女子学生が、紛争に関係した学生に対する大学の処分に抗議してハンガーストライキに入ったことを伝えています。その学生は「おヨメ入り道具としての大学進学という、自分の中にもある権威主義をこわしたかった」と語っていますが、記事の見出しは「減量ではないの 抗議のハンストよ 学習院大でお嬢さん」とあり、女子学生の行動は好奇の目で見られていたようです。 

旧本部棟前での集会(1971年)

 男子学生と女子学生との最大の格差であった就職についても、1970年代から4年制大学卒業の女子を採用する企業が増加し、女子学生の就職率は向上していきました。とはいえ女子の採用は短大卒の方が有利で、かつ男子に比べて職種・賃金・昇進で不当な待遇を受ける時期が続きます。学習院大学学生部就職課が編集発行していた『就職の手引』に1978(昭和53)年度版から掲載された「女子学生諸君へ」という記事は、「近年女子学生の就職はきわめて困難な状況にある」としながら、その理由が女子学生の意識にあると指摘しています。

 このことについて、企業側では主として、学部女子学生は短大・高校女子に比べていつ退職されるかわからない、男子に比べて転勤、転属が簡単でない、また学部卒にふさわしい部署が用意されていない、といった理由をあげている。ところで学部女子学生側にも「いい所があれば就職してみたい」という軽い気持の学生から積極的に会社訪問している学生まで求職意志の強弱が目立つようで、なかでも多数の女子学生が就職に対する意識の弱さを持っているように感じられる。女子学生諸君はこのような実状をよく自覚して早めに就職のための意思決定をし、準備を進めてほしいと思う。また縁故のある人は大いに活用してほしい。

(『就職の手引き』1978年度版)

 『就職の手引』に掲載された採用内定者のアンケート回答には、「女子社員は、男性社員のアシスタントとしての活躍を期待しているので、特別に個性的であるとかより、言われたことを正確に、きちんとこなしていかれ、人間関係も円滑にはこべるかを基準にしたようである。(不動産会社、1981年)」、「女子の場合、友人の例などみても、やっと一社というように大変厳しいのです。(略)それと、縁故はなるべく活用することです。『コネなんか!』と思う方もあるでしょうが、『コネの強さ』というのが歴然としているのは悲しいかな事実です。(商社、1981年)」といった記載が並んでいます。大学で身につけた知識や教養は、女子の場合多くの職場でまだ軽視されていたのです。冒頭に掲げたように、『学習院大学新聞』はしばしば女子学生の就職の実態を報じています。

 1986(昭和61)年に男女雇用機会均等法が施行されて、ようやく雇用における男女平等に向けて進展が始まりました。『学習院大学新聞』(1986年12月5日)は厳しい現実とともに、今後の展望も述べています。

求人票を見つめる学生(1980年頃)

 学習院の女子学生の就職は、ほとんどが二、三年勤めて結婚するという「社会勉強」タイプだ。今年は女性に門戸が開かれたわけだが、男子と同等に総合職を目指した人は、わずか数名だったようで、男女雇用機会均等法は、法においては平等をうたってはいるが、文字通り均等な機会を与えるに留まり、その実状はほとんど変わっていないと言える。そうした矛盾の中で女子学生が自然と一般職に流れていったのも仕方がないことなのかもしれない。 

 女性の職場での平等な立場を確保することは、日本の社会において、大きな困難がある。現在、働く女性の努力と実績によって、その道を徐々に開きつつあるというところだ。今後は、一般職で何年か勤めた後、総合職へ変わることができるようなシステムを増やしてゆくことが当面の問題である。ゆっくりではあるが、少しづつ変わりつつある。 

(『学習院大学新聞』 198612月5日)

 学習院大学の場合、1988(昭和63)年度に女子の就職率が男子を上回り、このころから法学部や経済学部に進学する女子学生数が増加しました。女子高等科から学習院大学への進学者も1980年代まで圧倒的に文学部が多かったのですが、90年代以降は法学部や経済学部の人気が高くなりました。1999(平成11)年には男女雇用機会均等法が改正されて、雇用における男女差別が法的に禁止されました。その一方で、全国で短期大学への進学者数が減少し、学習院女子短期大学も90年代には入学者の多数が学習院大学への編入を希望する状況に至り、1998(平成10)年に4年制の学習院女子大学へと改組されたのです。