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【開学75周年企画】あのころ ― 第3回「『院祭』から『大学祭』へ 」

桑尾 光太郎 (学習院アーカイブズ)

2024.07.10

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令和6(2024)年、学習院大学は開学75周年を迎えます。
「あのころ」は、学習院大学の歴史を通して戦後日本の高等教育の一端を振り返るコラムです。

 筆者が学生だった1980年代、所属していたサークルで「学習院の学園祭は...」と口にしたところ、先輩から「違う、大学祭だ!」と強い口調で注意されたことがあります。当時何のことだか全く理解できず「うるさいなあ」と思った程度でしたが、学園祭ではなく大学祭と強調されたことには、それなりの理由があります。

 学習院の学園祭のルーツは、1891(明治24)年から始まった輔仁会大会にあります。輔仁会とは1889年に発足した学習院の校友会組織のことで、秋に全学習院挙げての輔仁会大会が、戦後学習院が私立学校として再出発し大学が1949(昭和24)年に開学して以降も続けられました。1953年から輔仁会文化祭に、1961年からは学習院祭(通称院祭)に名称が変更されています。また、1952年からの一時期、初夏に大学独自の「大学祭」が開催されましたが、1957年には廃止されました。

 1960年代に入って大学の学生数が増えて「大学大衆化」の時代を迎えた頃から、学生からは改めて「大学祭」の開催を求める意見が強まりました。1968年の学習院祭プログラムにおいて、当時の院祭委員長は次のように記しています。 

大学祭プログラム(1970~80年代)

 さて、輔仁会各支部の連合大会としての性格をもった学習院祭も、今までの様に全学習院が一同に会し日頃の活動の成果を発表し会員相互の親睦を厚くするといった漠然とした目的だけでは運営して行くことがむずかしくなって参りました。院祭を廃止して各支部ごとの文化祭を持ちたいという声、院祭だけで十分だという声、様々な事が院祭をめぐって言われております。こうした声の一番の原因は大学のマス化にあると思われます。

(『学習院祭 '68』実行委員長挨拶)

 1969年に学習院大学で紛争が本格化すると、「輔仁会粉砕」のスローガンが掲げられ、院祭の廃止そして大学祭の開催が争点となりました。同年9月、院祭中央委員会は、幼稚園から大学までの各支部の間の「問題意識の共有は幻想」との理由から同委員会の解体を決定しました。続いて輔仁会理事会は、学習院祭の廃止を決定し、各支部においてそれぞれの学校祭を行うことと、「なお、大学においては大学生の手による大学祭を行ない、これを行なうに際し、その一切の権限は大学生の手による大学祭実行委員会にあるものとする」ことを告示しました。こうして111日の前夜祭を含め、112日から4日までの日程で「第0回大学祭」が開催されるに至ります。大学祭実行委員会(大実委)は第0回と称した意味について、「既成文化を否定的にとらえ返して、新たな文化創造をめざすことでもある」と説明しています。

 初期の大学祭は、構内での学生集会やデモ、学生同士の小競り合いが絶えず、とくに1970年の第1回大学祭は、「正門前事件」と称される学生同士の衝突事件が発生して中止に追い込まれました。しかし以降は大きな混乱もなく開催され、大学祭はエンターテインメント色を定着させていきました。たとえば、1972年の第3回から前夜祭で、参加団体による神輿や提灯行列が目白通りを練り歩くようになり、恒例行事として2011年まで行われました。また別表のように、ミュージシャンや著名人を呼んでのコンサート・講演会などが盛んに企画開催されるようになり、紛争が沈静化したのちに大学キャンパスが若者文化の発信地となったことを示しています。 

【別表】大学祭テーマとコンサート等の主な出演者(1969~2000年)
※クリックすると別ウィンドウで開きます。
前夜祭の神輿行列(1974年)

 別表に挙げた大学祭実行委員会が毎年発表するテーマには、自治や変革をうたった硬い言葉が1980年代まで続きます。そして1990年代初期まで大学祭プログラムには、大学祭誕生の歴史が紹介されています。学生時代の個人的な体感だと大学祭のテーマなど一切知らなかったのですが、言葉だけでも「闘争によって勝ち取った大学祭」の余韻が残っていたのかもしれません。90年代以降、硬質な言葉は使われなくなり、第31回(2000年)に「ちょいと見レニアム」が登場した際、時代の移り様を強く実感したことを覚えています。

 2014年の第45回大学祭から、公募により「桜凛祭」の名称が採用され、『学習院大学新聞』(2014年11月28日)は命名の由来について、「桜は本院の院章から取る。桜の木のようにどっしりと構えながらも凛とした学習院の校風が見える大学祭であってほしい。このような思いが込められているそうだ」と伝えています。改めて「違う、大学祭だ!」という先輩の苦言を思い出します。